グェル公園に向かう

朝はゆっくり起きた。 グラシア大通り沿いのカフェでお茶しつつ、ひとり作戦会議。 12,3歳くらいの少女が寄ってきて自分の左掌を右手人差し指で指しながらスペイン語でなにやら言ってくる。 ジプシーの物乞いである。 追い払ったが、朝から悲しい気分になる。

今日の目的は、グェル公園にいくこと。グェル公園は、ガウディが設計した公園で曲面を多用したデザインと、その外観に張られた色とりどりのタイルがどこにもない世界を垣間見させてくれる。そしてそこには、画家が自らの作品を販売する一角がある。それらは値段も手ごろで良い作品も多い。以前来たときも、一枚買って帰ったのだが、またもや買い付けにやってきたのである。

画家の即売所

グラシア通りでタクシーを捕まえ、ビセーンス邸経由グェル公園行きを頼む。公園に到着すると、画家の即売所へと上り坂をあがっていく。すると、まだありましたよ、やってました。 10人くらいの画家がずらりとならんでいる。かれらの傍らには多くの絵が飾ってあったり、スタンドに立ててあったりしている。彼らは、当局(市なのか公園なのか不明)から絵の販売許可書を支給されている。販売許可の審査が厳しいのか、"なんちゃって画家"は見受けられない。バルセロナの芸術振興の一環なのであろう。

見学をスタートする。個人旅行なので時間無制限で絵を選べるのはうれしい。ポスターも悪くはないが、原画の迫力は格別である。こっちが真剣なので、画家のほうも一生懸命売り込んでくる。

適当に話を聞き流しながら絵を選んでいると どこか変な感じがする。 言ってくる言葉がよく理解できないのだ。 しっかりと聞いてみると、文法は英語のようだが、単語のほとんどがスペイン語のようだった。 いちいち単語を確認しつつ話をしてみると、 この黒人のおじさんはチリからやってきたらしい。 チリはたしかスペイン語圏だった。 南米とスペインは結びつきがつよいと聞いていたが、 実際の事例を目の当たりにしてその理由が腑に落ちた瞬間だった。

マラガへ戻る

今日は、バルセロナへ移動する日。 コスタ・デル・ソルからバルセロナへの移動は、飛行機がもっとも合理的なようだ。 ということで、空港があるマラガへと戻る。 アルへシラスを朝出発し、フライトまでの余裕があれば、ミハスへ寄り道することに決めた。 ミハスは、白い家で知られる有名な観光地である。

車で高速道路を走り、途中のパーキングエリアで朝食タイム。 サンドイッチを買う。 具はチキンをマヨネーズで合えたもので、 マヨネーズがかかりすぎで少し気持ち悪い出来。 日本のマヨネーズは、少し酸っぱい味付けだが、 欧州のそれは、もっとクリームっぽい味がする。 そのためこの気持ち悪さを味付けの違いと思って食べたが、 これが後々よくなかったかも知れない。

ミハス(Mijas)に寄り道

道程は問題なく、ミハスに寄る時間の余裕が出来た。 ミハスは新婚旅行の時と合わせて2回目である。 ミハスの雰囲気を楽しみ、カフェでコーラを飲む。気候のせいかコーラが異様に美味い。 呆けていると、近くのテーブルに座っていたおばさんが話しかけてくる。 スペインはどう?好きですよ。と世間話。 おばさんはアメリカ人でビジネスを引退し、 旅行しながら暮らしているそうだ、 その内ミハスを気に入り半年ほど滞在しているらしい。 アメリカ人の引退後の生活というのは優雅なものだ。

その後、日本語の看板があるみやげ物屋にひやかしで入る。 そこでは、マラガに住んでいるという日本人女性が店番をしている。 マラガの治安を聞いてみるとかなりよいとの返事。 でも日本人は治安の悪いところに好んで住んでいるのよね、とのご意見。 マドリッド、バルセロナ。確かにそうかも。

このみやげ物屋では、スペインの数少ない特産品であるエキストラバージンオリーブオイルを購入。 その後は、途中で発見したショッピングセンターで昼食をとり、マラガ空港へ。マラガ空港でレンタカーを返却。 手順は日本と同じでなんの問題もなかった。 そしてバルセロナへ飛んだのである。

モロッコの痩せた大地

観光バスは結構なスピードで走る。 地中海に面した海岸側には、外国人向けのリゾートホテルが立ち並んでいる。 そのどれもが、外国資本によるものだ。 ホテル地帯を過ぎると今度は廃墟のような建物の景色が続く。 舗装がよくないので乾いた道路から砂が舞い上がり、風景が埃っぽい。 そして建物の群れを抜けると、痩せた大地が目の前に広がった。

この大地では多くの人間を食わしていけないな。 これが自分の感想だった。 途中のらくだ付き休憩をはさんで、バスは一路ティトアンへ。 ティトアンには世界遺産にも登録されている旧市街地区があるのだ。 バスはほとんど山もない平坦路を進んでいく。セウタから2時間ほど走ったころ市街区が現われた。 バスは市街区を走り、やがて古い城壁のそばにバスを停めた。

城塞都市に入る

城壁の中はメディナと呼ばれる旧市街区になる。 城門の階段状になった入り口をくぐると、そこから隘路が始まっている。 隘路の両側には果物や野菜を売る商店が軒を連ねていた。 ガイドはどんどん隘路を進んでいく。 皆は、道の狭苦しさと市場の熱気を楽しみながらガイドを追う。 道は迷路に入り組んでいて、わくわくしてくる。 敵の侵入に備えて街をわざと迷路状にしているのだろう。まさに城塞都市(カスバ)だ。

ガイドは右へ左へと道を変えながら進む。 こりゃガイド無しではこれない。 道に迷ったら大変なことになる。 ツアー客の迷子防止のために別のガイドがサポートに入った。 個人的にはもう少しゆっくりしたいところだったがそうもいかない。 洋服屋街、アクセサリー屋街、アラブ街、ユダヤ街、何でも屋、イスラム寺院。 そして、蛇遣い。コブラはなかなかの迫力だった。

アルヘシラスのフェリーのりばで

朝7時に起床し、8時過ぎにタクシーで出発した。 今日はモロッコ行き一日ツアーの日。 8時45分にフェリーのりばのインフォメーション前で集合とのこと。 本当に自分の理解で大丈夫かどうか不安になりながら、あたりをうろうろしたり、 カフェ・コン・レチェ(スペイン版カフェオレのこと)を飲んだりして時間待ち。

ふと気づくとインフォメーションの辺りで50人くらいの人だかりが出来ている。 係の兄ちゃんに旅行引換券を渡すと、 ブルーのシールを胸に付けるようにと言われ、Tシャツにはる。 グループ内に日本人、というより東洋人は自分一人だけだった。

アフリカに上陸

9時30分発のフェリーで出発。 乗ったのは、日本でも見慣れた感じの真新しい双胴型フェリーで、十数台の自動車が運搬できる立派なもの。 どんな怪しい船に乗るのだろうかと想像していた自分にはチと拍子抜けであった。 船は一時間くらいでジブラルタル海峡を渡りセウタに到着した。

アフリカ大陸に上陸するのは初めてだった。 天気は晴れ。気候は暑いながらもスペインと変わらない。 アフリカといえばサバンナととんでもない気候を想像するが、 アフリカは広大でサバンナばかりがアフリカではないし、酷暑の地ばかりではない。 そんな当たり前のことを当たり前に理解できてうれしい。

迷子から脱出

道の脇に車を停めて一人作戦会議をする。 そして、あるアイデアがひらめいた。 今はひたすらアルヘシラスの方向のみを捜している。 これをバルセロナのような真逆方向も探せば、ルート発見の可能性も二倍になるのでないか。 こう考えるのも束の間、バルセロナへと向かうルートを発見。 反対車線にUターンすると、そこにはアルヘシラス140キロの看板が! ラッキーとばかりに爆走スタート。

しばらくご機嫌でドライブを続けていると、お腹が空いてきた。 やがてドライブインの標識が見えた。 ドライブインには広大な駐車場がついていて、停まっている車もまばらだ。 ドライブインに到着するとバック方法の解析スタート。 この車は一速の左隣がバックギアミッションになっており、 いままではどうしてもそのミッションにギアをいれられなかったが、 シフトノブにリング状のストッパがついていることを発見。 リングをひくことでバックギアにシフトチェンジできることがわかった。

ドライブインで

当面の懸案をようやく全て解決し、意気揚揚とドライブインの食堂へ行く。 ドライブインの中はカウンター形式になっており、西部劇風のバーみたいな感じ。 わたしは、フランスパンにスペイン名物の生ハムをはさんだものを注文した。 うまーい。 パンはもちろんうまいが生ハムのうまさが尋常ではない。 やはりスペイン料理(?)は最高だ。

問題も解決し、お腹も膨れ、わたしはハッピーな気持ちであらためてアルヘシラスへ出発した。 新しい目標は、5時までに旅行社のカウンターに滑り込むことである。 その後はスペインの高速道路が有料であることに驚いたり、 アルカンタラで渋滞に巻き込まれたりしながら、 一路アルヘシラスへと向い、4時半ごろに到着。


ロンドン > マドリッド > マラガ

2002年のお盆休み。 8月14日から18日までの5日間を利用してスペイン・モロッコ旅行に行った。 妻は日本に帰っていたので一人旅である。 14日の早朝、ロンドン・ヒースロー空港からスペイン・マドリッドに飛び、国内線に乗換えてマラガについた。 マラガは地中海側に面した、コスタ・デル・ソルの玄関口といわれる都市である。 コスタ・デル・ソルとは太陽の海岸という意味で、 晴れの日が多くて美しい地中海に面したこの地域を呼ぶにもはぴったりの名前だ。

飛行機がマラガ空港に到着した。 イギリスの肌寒さがウソであったかのような暑さと、抜けるような真っ青な空が私を迎えてくれた。 今日の目的地はアルヘシラス。 なんとかその日中に到着し、翌日のモロッコ行きツアーを申し込みたいところだ。 マラガからアルヘシラスまでは140キロほどある。さて、どうやって移動するか。 出たとこ勝負が信条なので事前準備はしていない。


大きな地図で見る

イギリスに帰る日。早めの出発でフランス、カレー港に向かう。フェリーに乗るため、夕方にはカレーに到着している必要がある。 移動距離を考えると結構厳しい道程になりそうだ。ところが、オランダを出る前にひとつ希望があった。オランダ名物、風車の写真を撮りたい。

アムステルダムから、アントワープに向かう高速道路のそばに風車を見かけたことがあった。それを狙うことにする。アムステルダムから風車までの間、 運転をお任せして車窓を眺めるが、オランダの風景は本当につまらない。何しろ、平地しかないのである。すべて埋立地なので当然のこととはいえ、地平線を見ながらの移動は、日本育ちの自分には違和感がある。

オランダではよく自転車が利用されることを指してエコ先進国として評価しすぎる人がいるが、平地しかないオランダと坂だらけの日本の環境を同列に考えるのは、間違いである。オランダにはオランダの最適があり、日本には日本の最適がある。

やがてパーキングエリアのそばに良さげな風車を発見するが写真を撮るには遠い。そこで高速道路を降り、風車への接近を試みた。 うろうろ周辺を迷いながら接近に成功し、写真を撮る。その日は無風で風車は動いていなかったが、この風車もかつては、この国土建設の為に働いていたのだろうか。

この後、風車近くの街で地元のスーパーを発見、買い物タイムである。目的は、昼食用のパンと、ビールの購入である。私は、アムステルビールをゲット。ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズで、食通の探偵は、このビールを世界一と評するが、世界一ビールがまずい国の探偵のいうことはあまりあてにならないと言っておこう。

その他、スーパーの一角にチーズコーナーがあった。見事なので写真を撮る。(Webアルバムを参照ください)さて、来た道を逆に戻り、3泊4日の旅行は終了した。オランダもベルギーもよい国で、住んでもよいかと思えた。但し、税金さえ安ければ、だが。ベルギー・オランダは税金がとんでもなく高いのだ。(終)

前日Ibis Amsterdam Airportに宿泊した我々は、この日遅めに出発。このホテルは、名の通りアムステルダム近郊のスキポール空港(Amsterdam Airport Schiphol) 近くにある。アムステルダムは、すこし治安が悪い上、宿泊料も高く、駐車場も高価。そんな理由で郊外に宿泊したのである。

ホテルからスキポールまでは送迎バスで移動し、そこから鉄道でアムステルダム都心へと向かう。駅はスキポール空港の地下にあり、非常に便利。30分しないうちにアムステルダム中央駅に到着した。

最初の目的地は、国立美術館(Rijksmuseum)である。アムステルダムには路電が張り巡らされており、市内はこれを使って移動する。しかし、今回は水都を楽しむべく、観光案内付き水上バスを利用することにした。水上バスは、アムステルダム市内を環状に結んでいる。我々は乗降自由チケットを購入した。水面は薄汚れてパッとしないものの、乗り心地は悪くない。案内も興味深い。今も残る水上生活者は、電気、ガスなどはうまく手に入れているものの、電話がないのでインターネットがつなげなくてデジタルデバイドを引き起こしているとか、アムステルダムは、アムステル川のダムがあった場所に出来た町だったなど...。

国立美術館近くで舟を降りる。美術館は大通りを挟んで向かいである。入場すると改装中らしくほとんどの絵画が見れない。しかし、フェルメール「牛乳を注ぐ女」他3点は見ることができたのでよしとする。レンブラントは、大作「夜警」が所蔵されている。

軽く食事の後、ゴッホ美術館(Rijksmuseum Van Gogh)へ移動。 ゴッホ美術館は、最高に素晴らしく、ゴッホの年代別展示あるいは、その他の所蔵絵画も大ボリュームかつレベル高い。ゴッホが自殺する直前の作品「烏の飛ぶ麦畑」の狂気ぶりは必見である。また、ゴッホが深く影響を受けたといわれる広重の「大はしあたけの夕立」などがある。浮世絵の美しさが、西洋画家の作品に負けていないのに満足する。

ゴッホ美術館の物量には驚き。すべてを見終わった我々はもうふらふらであった。一日に美術館を二軒もはしごするものではない。国立美術館は改装中ではあったものの、どちらの美術館も素晴らしかった。ただ、時間がない中でどちらを見るべきかといえば、ゴッホ美術館をお勧めする。

その後は、市内の日系レストランで食事。(しかし美味しくなくてあえなく玉砕)飾り窓を冷やかしつつ、不意に入ったスペイン料理屋は非常に美味しかった。我々は、気持ちいい酔いに身を任せながらホテルに戻った。翌日は、イギリスに帰る日である。

大陸時間で5時半に起床した。 ということは、イギリス時間で4時半起床だ。 釣りにでも出発するかのような早起きである。 身支度を整え、ホテルの食堂へ降りる。朝食はバイキング形式になっていて、クロワッサン、スクランブルドエッグ、ソーセージ、オレンジジュース、カフェオレをいただく。大した朝食でもないのだが、やけに美味しい。なぜ、狭いドーバー海峡を渡っただけで、こうも食べ物の味が違ってしまうのか、イギリス人に訊いてみたいものだ。

予定通りにホテルを出発し、ベルギー(Belgium)はブルージュ(Brugge)へ向かう。高速道路の乗り換えが少し複雑で迷ったが、方向が定まってからは好調そのもの、8時過ぎにはブルージュに到着してしまった。駅地下の駐車場に車を停め、街の中心部まで散策することにする。

水の都ブルージュはかつて水運で栄えた、ハンザ同盟の街。 可愛らしいキャンディーショップを横目に見ながら、 マルクト広場(Grote Markt)に到着。 雨がぱらついてきたので、レストランに逃げ込み、カフェオレを飲む。この広場にはギルドホールと83メートルもあるという鐘楼(Halleen Belfort)があり、 東側には、西フランドル州庁舎が建っている。 ちなみに鐘楼は世界遺産だ。

広場を離れると、朝市を発見。 えらく歴史がありそうな建物の軒先で店が開かれていて、数百年前から続いてそうな感じ。 魚屋では干物が売っており、日本人の口にも合いそうだ。その後は美味しそうな店構えのチョコレート屋さんでお土産を手に入れた。ベルギーといえば、レース、チョコレート、ビールである。レースを買おうとは思わなかったが、同僚ご夫婦はベルギービールも購入。我々は観光もそこそこに次の目的地をオランダ、デン・ハーグ(Den Haag)に定め、出発した。

オランダ入国の前にアントワープ(Antwerpen)の街を通過する。 日本人にとってのアントワープとは、ダイヤモンドの町であり、またフランダースの犬の舞台であろう。 ところが私にとってのアントワープとは、

きんどーさん:「あ~今日も大勝利だったわねー」
としちゃん : 「クリスマスにはアントワープに一番乗りですよ」
そうじくん : (なにしに学校いってるんですかっ!?)
マカロニほうれん荘 秋田書店 少年チャンピオンコミックス 第3巻 独立攻撃隊西へ!!の巻
のアントワープなのである。アントワープのリングロード(環状線)を走りながら私は深い満足感を覚えた。

途中のパーキングエリアで軽食をとりながら、かなりの距離を走りきり午後三時ごろにはデン・ハーグに到着した。この街はハーグとも呼ばれ、「デン」が何を意味するのか今をもって謎である。この港町に訪れた理由は、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」を見るためである。

当日の宿泊地をアムステルダム郊外に定め、ホテルを予約。 その後、マウリッツハイス王立美術館(Mauritshuis Musium)に向かう。この美術館には、上記の絵以外にフェルメールによる「デルフトの眺望」そして、同じくオランダ出身の画家レンブラントの「デュルブ博士の解剖学講義」、最後の「自画像」を所蔵している。

良い絵がたくさん所蔵されていたが、「真珠の耳飾りの少女」の素晴らしさは図抜けていた。レンブラントも素晴らしいが、フェルメールはもっと素晴らしい。多作家の彼と寡作のフェルメールでは絵の緻密さが違って当然とも思えるが、フェルメールの絵は完璧という言葉が相応しい。美術館の売店では「真珠の耳飾りの少女」を模ったマグネットを購入した。

美術館を出た後、レストランでムール貝を楽しみつつ、ビールを飲んだ。ムール貝はボイルドもいけるが、いためてもなかなかの味だ。そして、アムステルダムに向かった。ホテルについたのは8時過ぎ。外はまだ昼のように明るいが、その一日は終わりにした。有意義であった。

2003/5/23、金曜日。その日は仕事を早めに切り上げた。その日中に欧州大陸側に渡る為である。週末からの三連休を利用して、私は、同僚ご夫婦のお供兼、運転手兼、おじゃまむしとして旅行に参加することとした。行き先は、ベルギー、オランダである。

まずは、フェリーに乗るためにドーバーを目指す。私が住む町からドーバーへはかなり遠い。フェリーに乗り遅れないように高速道路を超高速で突っ走る。唸れボルボ号!ドーバーへ近づくと、連休を大陸で過ごそうとする人たちの車が増えだした。ドーバーは、イギリスにとって一番大陸に近い町であり、ユーロトンネルもこのドーバー海峡の下を走っている。

ドーバーからフランス、カレーまではフェリーで一時間ほど。フェリーの料金は、三人+車一台で料金は59ポンド(約12,000円)だった。なかなかお得ではないか。 フェリーに乗ると、まずは座席確保が重要である。料金が高めのレストランに陣取るのがいい。うるさい若者の侵入を防ぐことができるからである。

8:30の出発で到着は10:30。イギリスと大陸には時差があり、大陸側では一時間、時計を進める必要がある。実質一時間の船旅だが、二時間の船旅だったことになる。

さて、なんとかフランスに上陸できた。道路が左側通行から右側通行になったのを注意しながら、本日のホテルへと向かう。本日のホテルもベルリンの時と同じく、ホテルIBISである。翌日は、6時半に出発し、ベルギーはブルージュを目指すことにした。ブルージュは、ベルギーきっての美しい町として知られている。

ところで、6時半出発ということはイギリス時間で5時半出発を意味する。果たして起きることができるのだろうか。

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