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第十一回
初出公開:1999/8/30 最終更新日:1999/8/30
立ち技最強の男を決めるという、K-1がヒットを飛ばしてからというもの、格闘技ブームらしい。強さへの憧れは普遍的なものらしく、この手のブームは周期的にやってくる。
では、格闘技とはなにか。格闘技というものは敵対する人間を無力化するための技術だ。対集団、対獣を想定した技術ではない。しかし、対人間への技術が完成されていくと同時に、獣には通用するのかという興味が湧き上がってくるものらしい。
古代ギリシャでは、奴隷が猛獣と闘ったという伝説があるが、近代においては、極真カラテの創始者大山倍達氏の人間対牛とか、その弟子ウイリー・ウイリアムスの人間対クマが行われている。
「熊殺し」の異名をとる、ウイリー・ウイリアムスは身長2メートルの黒人空手家でプロレスラー、アントニオ猪木氏と戦ったこともあることからご存知の方も多いと思う。このカラテ家は、映画「地上最強のカラテ」でクマとのバトルを公開している。
このフィルムには、クマを拳で圧倒する人間の姿がおさめられているが、その攻撃が現実にクマに効いているがどうかは画面から良くわからない。ただし、熊が人間の攻撃をかなり嫌がっているのは見てとれる。殴る立場であるウイリー氏にしても、人間を超える戦闘力をもつクマを相手にして、恐ろしい思いをしたであろう。
ところが、これを「インチキだ」といっている人がいるのには驚く。小熊だったとか牙も爪も抜かれていたはずだとかという噂が根拠らしい。私の見るところ、確かにサイズは小熊といってよいかもしれない。しかし、くまのプーさん相手じゃあるまいし、体重をとってみればウイリー氏の倍以上はありそうに見える。それに加えて、牙と爪を抜かれていようがいまいが、人間とは種として戦闘力が全く違うと云えるだろう。牙と爪さえなければ、クマと人間が近しい戦闘力を持っていると思えるセンスが存在するのが恐ろしい。
さて最近、プロレスラーの藤原喜明組長がクマに挑んだテレビ番組があった。クマは小熊サイズでなおかつ口には噛み付けないように網がついている、手にはグローブも着けている。ここまで熊の戦力を落とした上で人間対クマの異種格闘が行われた。藤原組長は果敢にも相撲のような感じで攻め込んだのだが、クマのパワーは絶大で、ひたすら圧倒されるのみであった。
そして、その後のコメントで、「いやークマつよいわ」とあたりまえのことを言ったのが印象に残っている。これは「人間よりもクマのほうが強いのがあたりまえ。そんなことも想像できないのか」という、想像力をなくした視聴者に向けたメッセージだったのかもしれない。
なお、カナダにはレスリングをする熊がいて、あるプロレス団体が日本に呼ぼうとしていたのだが、動物愛護協会の妨害があり呼べなくなってしまったそうだ。その代わりに、クマの着ぐるみを纏った覆面?レスラーが出場し人気を博したという。ちなみに、本物のクマとは違って、弱いらしい。
第十二回
初出公開:1999/8/31 最終更新日:1999/8/31
相当記憶があやふやなので、話10分の1くらいで読んで下さい。
この人の鑑定の凄さを凌ぐ人物は未だに現れていないと思う。多彩な一流鑑定士を擁するなんでも鑑定団ですら然りである。
私が小学生のとき、心霊写真の大ブームがあった。たしか中岡俊哉氏(合掌)の「恐怖の心霊写真」の大ヒットが発端と記憶している。当時、お昼の時間といえば"2時のワイドショー"とか"3時のあなた"とか同工異曲の奥さま番組が全盛だったが、その中のコーナーに心霊写真特集があった。
どの番組のコーナーも視聴者に心霊写真を投稿させてそれを紹介するといった内容だったが、"3時に会いましょう"だったか、お坊さんに心霊写真の解説をさせる趣向があった。このお坊さん、かなり強力な霊視が効くらしく、心霊写真の解説がとにかく細かい。
例えば、池のそばで撮った写真に、女性らしきあやしい陰が映ったとする。その鑑定がこんな感じだ。
200年前にお秀さんという女性がいて、親の反対を押し切ってヤクザものと駆け落ち同然に結婚したが、男がやがて本性を現し酷い仕打ちを受けはじめた。やがて、人生を悲観してその池に入水自殺をした。そのお秀さんの霊が助けをもとめて写真に現れている。供養いたしましょう。
というような解説を一日何件か行うのである。
写真が紹介されるたびに新しい物語が聞けるのだが、これがまたネタがつきない。(インチキ前提で話を進めてすみません。信じたい気持ちでいっぱいなのはわかってください!) ベストストーリーは人面岩の写真を見て、
これは5万年前に木星から飛来したなんとか如来が宿っている岩である。大事にしなさい。
木星かよ!すでに心霊写真の鑑定というより、化石の鑑定に近いタイムスケールだ。感心するほかない。彼ほどの鑑定士は空前絶後もう現れることはないであろう。
第十三回
初出公開:1999/9/4 最終更新日:1999/9/4
これは、私の長年にわたる素朴な疑問の話である。
「スターウォーズ」に代表される、宇宙戦争物は、映画、小説、マンガ、アニメでは一大カテゴリーを形成している。しかし、なぜ戦争になったか説明しているものはすくない。言い換えれば、私に納得いく戦争の理由を説明しているものは少ない。
戦争というものは、政治の手段として究極の施策であると、私は定義している。例えば、ある一国が勝利した場合、戦争に費やした費用を越える利益をその後に得られなければその戦争は政治的に失敗といえるだろう。
宇宙戦争に話を戻す。ある星が戦争に勝って、非常に有利で独占的な貿易権利を得られたとしよう。植民星から不当に安く特産物を輸入し、加工後その植民星やその他の星に独占輸出する。それでどう利益を生みだすのだろうか?どう考えても宇宙船で輸出入をしてたら、原価1円のものが、販売価格1億円くらいになってしまいそうだ。そんなニーズがあるのか。
また、戦争というものは非常に費用がかかる。いうまでもないが、アメリカの防衛予算いや日本の防衛予算でさえ、小国の国家予算を十分にまかなうほどの膨大な費用といえる。宇宙戦争なんてやった日には、たとえばスターウォーズに出てくる帝国軍旗艦、宇宙戦艦スターデストロイヤーの建造費用ですでに、商業惑星2.3個分の年間総生産額に匹敵しそうだ。
そんなにお金をかけて戦争して、なにがうれしいのか、だれか教えて?
第十四回
初出公開:1999/9/5 最終更新日:1999/9/5
国際化とはなんだろう。英語を話せるようになることだろうか。移民を受け入れることだろうか。貿易障壁をなくすことだろうか。どれも違うような気がする。
長野オリンピック開催直前の頃、わたしは長野市へ仕事で言った。お客さんのオフィスのそばにはプレスセンターが出来ており、その付近にあるファミリーレストランは、お昼ともなると人種のるつぼと化していた。このお客に対応するのは、英語の訓練を受けた専任スタッフなどではなく、この店にパートで雇われた近所に住んでいるのであろうおばさん達であった。 私が日替わり定食を食べていると、フランス人らしき人たちがどやどやと入ってきた。
おばさんがそれに対応する。
「いらっしゃいませ」
「ぺらぺらぺら」フランス語
さすがはフランス人、ここが日本ということも忘れて母国語でしゃべりまくる。しかも早口で。その時、パートのおばさん、あわてず騒がず。
「窓際のお席はいかがですか」
と、ルーティンの案内をし、問題なく対応してしまった。フランス人が何をいっているのかわかっているようには思えなかったが、結果オーライであったようだ。わたしはこの光景を見て、これが国際人の姿だねと思った。国際化されていない従来のパートのおばさんであれば、あわてすぎて対応などできなかっただろう。
そこには、あいてにぺらぺら勝手にしゃべられて、言葉が理解できないことに自分を責めてしまう、一般的日本人の姿はなく、そんなの知るかとばかりに開きなおり、結果オーライにしてしまう、タフな人物像があった。
わからないものはわからない。ただし、わからないものを排除することなく、存在することは認める、そして理解しようとする。 他者の存在を認めるのは我々にとって大事なテーマだ。生活してきた背景の違う他者を認めるのは非常に難しいことではあるが、普段われわれがおこなおうとしていることの延長線上に国際化があるのであって、難しく考えるようなことはないのだと思う。
更に言ってしまえば、慣れなんでしょうね。
第十五回
初出公開:1999/9/8、最終更新日:1999/9/8
松田優作主演で映画化もされた傑作「蘇る金狼」がテレビドラマでリメイクされた。その出来は個人的にかなり不満で、主演の俳優さんは一生懸命演じているのだろうが、原作者である大藪春彦さんが醸しだす怨念が全く表現できていないと感じた。私にとって、大藪作品イコール怨念なのだが、これは戦争を知らない世代には到底顕すことができないでものなのだろう。天才、松田優作は別にしても。
大藪春彦さんは1935年2月22日 京城(ソウル)に生まれた。早稲田大学英文科在学中に処女作「野獣死すべし」を発表、江戸川乱歩さんに激賞されて作家となった。大藪さんは流行作家として、非常に多くの作品を書いておいでだが、この処女作が一番素晴らしいと思う。
スピード感ある文体、刺激的でパワーのあるストーリーは大藪ファンにとって周知のことなのだが、私が最も衝撃をうけたのは、作品に横溢する怨念とでもいうものであった。この怨念はある特定の対象に向けられたものではなく世界へむけた呪いのように感じた。
私はこの人の怨念はどこからでてきたのかに興味を持つことになった。対談やエッセイなどを読むと生い立ちがわかった、大藪さんは幼少を朝鮮半島で過ごすのだが日本敗戦時の引き揚げは非常に惨い体験であったらしく、これが彼の世界観を決定づけたようだ。酸鼻をきわめる体験をつたえるのは私には到底筆がおよばない。
ここで育まれた怨念が、その後小説の形をとって何度も何度も世界に解き放たれることになる。ただ、これほどの怨念も時を経るにつれ薄れていくらしい。晩年の作品「アスファルトの虎」ともなると物足りなさすら感じるほどである。。どのような怨念をも、時は癒してくれるのであろうか。
没年1996年2月26日。同時に怨念も癒された、と信じる。