与太話 1999/9/18-1999/10/3

kowas


第二十一回

異種格闘技戦!?

初出公開:1999/9/18 最終更新日:1999/9/18

アントニオ猪木さんの超ヒット企画に異種格闘技戦がある。普段は相対しない異なる格闘技がどちらが強いかを決める戦いである。

プロレス対カラテ
プロレス対キックボクシング

そして、最も有名なものには、日本中が熱狂し、賛否両論となった、アントニオ猪木対モハメッドアリのプロレス対ボクシングがある。これらは素晴らしく燃える勝負だった。だが、悲しいことに人間の欲望には切りがないものだ。刺激を求めるうちに、とんでもないものと戦いはじめてしまう。

プロレス対ボディービルダー
プロセス対小錦の兄貴
プロレス対シラット柔術

まず、ボディービルは格闘技ではない。また、小錦の兄貴などは、単純に強いお相撲さんの肉親だというだけで、格闘技どころかスポーツのカテゴリですらない。最後は、人の知らないもっともらしい格闘技とやっとけばよいかといういい加減なやつで、あきらかにネタ切れである。

ところが、このような茶番を見せられてすら、この手の話は人間の本能的な興味に根ざすものらしく、相容れないもの同士の戦いは人を熱くする。最近ブレイクしつつある、PRIDEで行われる限りなくルールが少ない格闘技は、せまいカテゴリーの中ながら熱狂的なファンをもつ。

このような格闘技の規制緩和に過剰反応したプロレス界がまたやってくれた。プロレスの規制緩和は、凶器攻撃になぜか適用された。

過去の凶器攻撃ではフォークとか栓抜きを使っての攻撃が主流であった。ところがいまはとにかく素敵になっている。まず、自転車。自転車で殴るのではない。自転車で轢くのである。効くわけがないが、観客に与えるインパクトは大きい。観客は大喜びである。蛍光灯。蛍光灯で殴られきらきらとガラス片が舞い散る姿は芸術的であり、観客の本能的な恐怖に訴えるものがある。また、破片であいての額や腕を切り裂く様は観客を興奮の坩堝に叩き込む。火炎放射器。もちろん火を相手にぶっ掛ける。もう凶器という生易しい世界を超え、ただの武器である。

決定版は車で轢く、という凶器攻撃だろうか。ちなみに現在の一部のプロレス団体には反則による勝ち負けのようなルールが無い。車で轢いてからリングにあげ、カウント3つで勝負を決するのだ。車で轢かれたレスラーはその後、救急車で運ばれたそうである。まったく馬鹿馬鹿しくて素晴らしすぎる。プロレスが八百長だから見ないという論が如何に的外れかということがわかろうというものだ、本当に。


第二十二回

祝福の呪文

初出公開:1999/9/23 最終更新日:1999/9/23

私はベストセラー作家、京極夏彦氏の小説が非常に好きだ。彼の著わしたある作品中で、探偵が卑劣な男に呪いをかける描写があった。そして私はそれを見た瞬間、呪いというものの本質についてわかったような感じを持った。それについていつものように勝手な説明をするが、軽く読み飛ばしてほしい。

まず、呪いは超常現象として分類されることが多いが、それは違うと思う。呪いとは暗示のことである。簡単な言葉で言いかえると思い込みのことである。

例えば、我々は地球を見たことがないが、地球が丸いと思い込んでいる。これが呪いである。では、どのような呪文(仕掛け)によってわれわれは呪いをうけたのだろう。それは、地球は丸いひたすら教えられてきたことや、地球が丸いという証拠資料を見せられたことである。

我々がそう思い込まされたように、地球が四角いというような情報ばかり見せられたらどうか。地球が四角という常識をもった人間が生まれるはずだ。そしてその人間が地球が丸いことを常識とする人々のなかへ放り込まれるとしたら…可能性は低いだろうが孤立して不幸になってしまうかもしれない。これは呪いだ。

現実にありえそうな例を挙げてみる。ある不運な人がいる。まず彼(彼女)は偶然についてないだけの人だと仮定してほしい。さて、その不運な人が「あなたは呪われているのだ、だから不運なのだ」と信用している人に指摘される。これが呪いである。簡単なものだ。この場合の呪文は、アブラカタブラやちちんぷいぷいの類の訳わからない言葉の羅列ではなく、ただの日本語口語である。 そして、彼が「自分が不運な人間で、呪われているからそうなったのだ」と信じた瞬間に呪いがはじまる。

悲観的な考えというのは思考にループがかかってその悲惨な想像の連鎖から抜け出せなくなるものだ。この不運な人がこののような思い込みによって、エキセントリックで物事を常に悪く考えるような人間となるとする。そして、おかしな振る舞いゆえに不幸を募らせていくとすれば呪いが成就したということだろう。

まあ、みんな馬鹿ではないから簡単にはうまくいかないだろうが、呪文(仕掛け)が高度になればかかる確率も高くなるだろう。緻密な詐欺みたいに。

すこしダークな内容となったが、考えてみてほしい。呪いについて説明した部分を祝いに置き換えてみると…ふたつは表裏であって本質は同じなのだ。

さあここで、ご覧いただいている皆様にわたしが呪文を唱える。

みんながあなたのことを、いい人だ、大好きだといっていますよ!

京極夏彦の最高傑作は「鉄鼠の檻」だと思う。これがすべてといってもいいくらい。


第二十三回

宇宙一速い話

初出公開:1999/9/28  最終更新日:1999/9/28

かのアインシュタイン博士によると、物質は光の速さ以上の速度で移動できないそうだ。映画「スターウォーズ」にでてくる宇宙船ミレニアム・ファルコン号は、宇宙一の速度を誇る、と船長が自称している。ちなみにオーナーはハリソン・フォード演じるハン・ソロである。

物質が光の速さを超えて移動できない以上、宇宙一速いというのは、宇宙一光速に限りなく近い速度が出せる船ということなのだろう。ただし、光の速さというのは広大な宇宙空間を移動するにおいて、十分自慢できるほどの速度なのかどうかというと、そんなことはない。

われわれの住む地球から一番近い恒星系(太陽系に似たシステムを持つ星群)への距離は、4.3光年といわれる。光の速さで4.3年かかる距離だ。普通の艇で4.5年かかる工程を4.4年で行けるとして、確かに速いのだろうが、宇宙一と自慢されても「あほか」と思う。

さて、光速を超えようとすると、通常のやりかたでは無理だということがわかった。それゆえに、スペースオペラで最も製作者達があたまを悩ますのはアインシュタインをいかにだますかなのだ。

「宇宙戦艦ヤマト」では、ワープという手法を用いる。劇中で詳細は説明されていないが時間と空間は波長で捉えることができ、その波長の山同士に飛び移るとワープができるらしい。すると、よくわからないがテレポーテーションのような結果を得られる。ここでおそろしいのは、この様な精密な計算が必要と思われる操作を手動でおこなっている描写があることだろう。

「スタートレック」のエンタープライズ号が行うワープも面白い。宇宙船の周りに、相対性理論が通用しない亜空間フィールドを張る。亜空間内では物質は光速を超えられないという制約がないので、自由に光速を超えるスピードをだせるという寸法だ。ちょっと詐欺に近いが。

ひるがえってミレニアムファルコン号はどうだろうか。劇中では、ヤマト的なテレポーテーション描写はなく、スタートレック的な亜空間フィールド描写もない。ここで私も気付いた。「スターウォーズ」劇中空間すべてが、アインシュタインの制約がない異次元世界を舞台にしているのかもしれないと。そう考えればハン・ソロの宇宙一自慢も納得がいく。やはり、「スターウォーズ」はSFでなくファンタジーであったということか。


第二十四回

コソボに寄付してやるよ!

初出公開:1999/10/2  最終更新日:1999/10/2

プロレスラーにはギミックが付き物である。プロレスは格闘スポーツであると同時にエンターテイメントなので、観客に対してわかりやすさを提供しなければならない。ギミックとは映画やコミックでいうところのキャラクターとでも呼ぶべきものである。

大分類のギミックとして、善玉(ベビーフェース)悪役(ヒール)があり、それに加えて覆面レスラーとか、元土木作業員とか暴走族とか小分類のギミックがある。わかりやすさを通して、観客の感情移入を誘うのである。

ケンドー・カシンというレスラーがいる。彼のもつギミックは"悪役覆面レスラー"だが、最大の特徴は「ひねくれもの」というものである。

彼はアマチュア・レスリングの選手として、新日本プロレスに入社するが、オリンピック日本代表の選考に漏れたことから、そのままプロレスラーとなった。当時同じようなアマレス出身の選手が3名おりアマレス三銃士と呼ばれた。そして彼はその一員として将来を嘱望されていたのである。しかしながら、玄人受けはするが地味な試合運びが多く、わかりやすい試合運びが得意ではなかった。スターの持つ華がなかったのである。そのためにプロレスラーとして伸び悩むのだが、遠征先のドイツで転機を迎えることになる。

海外で日本人レスラーは、ほとんどがヒールとして扱われる。対戦相手である白人がベビーフェイスになるからである。日本でも、外人レスラーがヒールを勤めているケースが多いが、これと同じ思ってほしい。ところが、彼の素顔は結構ハンサムなので、ヒールに向かない。そこで、覆面をかぶることになった。ケンドー・カシンの誕生である。ただ、生来の不器用さはなかなか直らない。頑固という一面もあるのでそれを直そうともしなかったようだ。ただ、レスリングテクニックは素晴らしいレベルに昇りつめていた。

彼は、その頑固さから、海外でもそうだし、その後日本に帰国したあとも、定まらない立場で苦労したようだった。当時のインタビューや試合の様子をみても何か吹っ切れないものがある。そして、技は華麗になったがアピール下手な為、人気もいまいちだった。

よくわからないポジションでの試合とストレスが溜まる毎日。そしてある日、遂に彼のストレスが爆発する。狂ったかのような暴走試合を見せた後、コメントを取るべく殺到するマスコミにこう吐き捨てた。「俺はプロレス界では必要ない人間なんだよ!」ひねくれた、一種の会社批判ともとれる、社会人では決して発せない言葉。この言葉を口にした瞬間、ファンの間に電流がはしった。ギミックではない、これは本気だ!彼の心の叫びががほとばしった瞬間、それは最高のギミックとなった。ファンがプロレスに求めるものはファンタジーだと以前述べたが、この時こそ、彼の「ひねくれ」がファンタジーへ昇華した瞬間だった!。

その後、人気が爆発。絶大なファンの後押しが、あったであろう会社からの圧力を沈黙させた。また、吹っ切れたカシンのファイトは、もう地味ではなかった。ファンの応援をうけて、彼のファイトは「ひねくれ」そして「狂気」の色を濃くしていく。タッグマッチをすれば気に入らない味方を攻撃し、敵がギブアップしても技を離さない。それでいて、レスリング技術は華麗さを極める。ファンは大喜びだ。

1999年開催のジュニアヘビー級(95Kg以下)総当りリーグ戦 Best of The Super Jr Ⅵ(優勝賞金100万円)において、優勝戦線に程近く駒を進めた彼はこう答えた。 「優勝賞金をコソボに寄付してやるよ」彼はヒールであるし、ひねくれ発言が多いので、ファンはこの発言をギミックだと思った。しかし、初優勝後本当に寄付してしまう。ファンはまたも気持ちよい裏切りをうけた。

その後、第34代としてIWGPJr.ヘビー級王座を初めて手にする。チャンピオンベルトを得たその時、彼は言い放つ。「俺はもう新しいベルトをもっているよ」そして、ベルトを踏みつけてしまった。しかも初防衛試合には勝手に作ったオリジナルチャンピオンベルトをもってくる始末。

その後、王座初防衛試合後のインタビューで、おめでとうございますの言葉を受けて言った。「うん、余計なお世話だ」

このひねくれかた、この頑固さ。かっこいいぜ、カシン!


第二十五回

原田知世ファン

初出公開:1999/10/3、最終更新日:2002/11/15

時の流れの速さに驚くことが多くなったが、原田知世さんのファンになってからもう15年以上になるのには特別深い感慨がある。自分が彼女のファンであると話す時に、必ず言うのが「彼女と同じ年齢なのですよ」という言葉だが、それを考えると彼女が三十路を過ぎていることに驚き、自分の年齢にも驚く。

邦画が今より元気だったころ。彼女は角川映画でスクリーンデビューを果たした。「時をかける少女」(1983.7) 大林宣彦監督、筒井康隆原作。

当時の角川映画は、雑誌や書籍などとのメディアミックスによって飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進を続けていた。そして次の一手として、自ら映画タレントを育てようとするのである。そこに登場するのが薬師丸ひろ子であり、原田知世であった。

「時をかける少女」は初恋の切なさを描いたSF仕立ての青春映画である。今にして思うと、角川映画の勢いに頼った、凡百の邦画の中の一本だったのかも知れないが、舞台となった尾道の魅力とすこしぎこちなげな彼女の魅力が相乗効果を起こして切なく懐かしいような記憶を呼び起こすいい映画になっている。

しかしこのデビュー作が、彼女の代表作であり、また頂点であるというのは、悲しい現実である。よいシナリオに恵まれなかったのは不運だが、彼女の魅力の源泉が処女性であったがゆえに出演の選択肢を広げられなかった。驚くべきことに、これは三十路を越えた今も変わっていない。もし、いまさら悪女役で出演しても、ファンは戸惑ってしまうだろう。

そこまでしてでも活躍してほしいような、してほしくないような。ファンは本当にわがままなものだと思う。

追記:そういや「黒いドレスの女」で謎の女を演じていたが、私の中ではなかったことになっているので、突っ込まないように。