与太話 1999/10/12-1999/11/3

kowas


第二十六回

あまの邪鬼

初出公開:1999/10/12、最終更新日:1999/10/12

「ワタシハウチュウジンダ」

喉をたたきつつ声を出して読んでいただけるといい感じになるのだが、テレビでも映画でも、なぜか宇宙人はこうやって出てくる。亜流には「わたしはバルタン星人だ」が、ある。

もし、こんなふうに異形の人物が現れたとしたら、あなたはどうするだろう。宇宙人なんてとんでもない。だれかのいたずらだと考えるだろうか。それとも本物だと信じるだろうか。信じないだろうね。

質問を少し変える。その自称宇宙人が普通の人間の姿をしていればどうだろうか。その場合も、その人を本物の宇宙人と思わないだろう。そのかわりに「ちょっといっちゃってる、かわいそうな人だな」なんて思うだろう。

ここからが本題。異形の人物あるいは普通の姿の人間が「ワタシハニンゲンデス」と言ったらどうだろうか。いろんなシュチュエーションが考えられるだろうが、どんなケースだろうともわたしならこう思うに違いない。「やばい」と。

不思議なことに、宇宙人だと名乗られるよりも、自分が人間だと言われたほうが、恐怖感が強くなる。

  1. 異形の人物がそう名乗ったとき。-->もう、明らかにやばい。
  2. 人間タイプだったとき。-->あたりまえのことを言われるとなおさら、なにかあるのではないかと強く疑ってしまう。またそれが、ただの頭のおかしい人間だったとしても、すごくタチのわるい狂人に思える。

このように、物事を反対に言った時にかえって真実味が増すことがある。次の例えを出してみよう。

「この原子炉は安全です」

やばい


第二十七回

あたりまえの出来事

1999/10/14、最終更新日:1999/10/14

わたしが幼稚園の頃、原子力は夢のエネルギーだった。どの辺がどうすごいのかまではよくわからなかったが、当時あったバラ色の21世紀ビジョンには、エアカーや海上都市と一緒に夢のエネルギー「原子力」があった。その頃の子供向け雑誌には、バラ色の未来を特集する記事がたびたび掲載され、わたしはこのような記事にこころときめかせたものだ。

原子力は、科学の勝利と同列に語られ、当時の社会問題のすべてをも解決する魔法のシステムのように思えた。ところが、今となっては原子力に幻想はない、あったのは幻滅と冷たい現実である。原子力は魔法のような万能薬ではないばかりか、強烈な副作用をもたらす劇薬だった。そして、日本が経験したあの東海村の惨事は、その事実をいやというほどわれわれに見せつけた。

だが、それらのことは実はあたりまえなのだ。現在語られる夢のエネルギーには核融合がある。核融合は、放射能が発生しない上エネルギー効率は原子力以上という理想のエネルギーといわれている。核融合は、太陽が燃えるのと同じ原理で大容量の熱パワーを発生させる。完成すれば、まさに地上に小さな太陽をつくるようなものだ。

それで、これが安全だと言えるか?もちろん、あらゆる安全機構が備えられるであろう。それでも、私の回答は安全とは云えない、だ。冷静に考えて欲しい。例え放射能が発生しなくても、地上に太陽のような大パワーを呼び出す行為が何を意味するのかを。万にひとつ、これに事故が発生した時、人間が太陽に向かって何ができるというのか。

今のたとえ話は極端な例だが、自然界でいうところの天災級のエネルギーを取り出す行為など、台風や地震を飼いならそうと考えるようなものだ。そんな行為が危険でないはずがない。これは、あたりまえのことだ。

今回の東海村臨界事件の真実は、本来危険なものにたいして、安全であると言い張ってきたことにある。大パワーを引き出すための作業に安全などありえない。ただ、その真実に目をつぶってきたのは、関係者だけではないだろう。仮に知らなかったといっても、放射能にやられてからでは遅いのだ、勉強するしかない。

そしてなおかつ、それらの必要な現実を認め、危険をゼロに近づける技術や運用の説明を要求しつづけるのだ。物事には錬金術的な成功などありえず、仏教的な因果律による世界こそが現実なのだ。原子力そのものに頼っていてよいのかという議論もある。ただ、我々はまだまだ愚かで、本当の正解に行き着くには時間が必要だ。

政府は、短い時間の中で高度な妥協を求められて大変とは思うが、今できる一番のことはよりたくさんの選択肢をつくることであろう。そして、嘘をつかないことだ。そして、我々のできることは、月並みな省エネと、事態を正しくつかむための勉強なのだろう。今回のような事故など2度と起こってほしくない。


第二十八回

フリークスヒーロー

初出公開:1999/10/17、最終更新日: 1999/10/17

水木しげる氏のあまりにも有名な作品に「ゲゲゲの鬼太郎」がある。超能力で悪い妖怪達と戦う鬼太郎少年の物語である。

超能力ヒーローにはカッコいいイメージがあるが、実は鬼太郎の超能力はあまりカッコ良くない。まず、鬼太郎の超能力として、もっともピンとくるのは、妖気レーダーであろう。彼の髪の毛は妖怪の気配を察知すると、自動的にその一部が立ち上がるのだ。そして、敵の存在を知るのである。

彼の超能力のほとんどは、髪の毛にある。髪の毛を針状に尖らせ打ち込む「毛針」。髪の毛には、かつらのように独立し、敵陣深く乗り込み諜報活動をおこなう能力もある。なお、その間の鬼太郎の頭がつるつるであるのは云うまでもない。そして、髪の毛が元のポジションに戻った時、諜報した情報が本人の脳に伝わるようになっている。

以上が基本的な鬼太郎の超能力である。どれも泥臭く、一般人にアピールできる能力ではない。実はこの他にも必殺技がある。これは少しグロな技で、テレビ放映では使われていない。しかし、原作ではかなり強力な切り札的な技として描かれている。その名は「指鉄砲」という。

手の指の第一関節より先が、拳銃の弾丸のように発射され、敵を貫くのである。この技の弱点は10発しか撃てないことである。指は10本しかないからだ。しかも、もう一度指が生えてくるまでこの技は使えない。このアイデア、「いいのか?」というような内容である。いま考えるとよく世にでてこれたなと思うが、考えてみると日本のヒーローといえば、すべからくフリークスである。

仮面ライダーなんて、バッタの怪人だし、ウルトラマンの年齢は2万歳、身長は40メートルなのだから。これに対して、アメリカのヒーロー達は、どちらかというと精神異常系だ。例えば、スーパーマンは宇宙人だが、見かけは派手なコスチュームをまとった人間だし、バットマンは金持ちの道楽でヒーローをやっているただの人間である。

もしかすると、日本のヒーロー達は日本人の潜在意識下で、一種の土着神的な捉えかたをされているのかもしれない。日本神話の神々、八百万の神のうちの一人として。この手の話の深層には、日本人の宗教観がでているのかもしれない。


第二十九回

サザエさんミレニアム

初出公開: 1999/10/25 最終更新日: 1999/10/25

あの家族向け娯楽番組「サザエさん」は、私の物心ついたころから放映されているが、まさか2000年まで放映し続けるだろうとは思わなかった。2000年といえば、「2001年宇宙の旅」に象徴される、未来の開幕の年と思い込んでいたが「サザエさん」なんてちっとも未来的じゃない。

「サザエさん」は、新しい風俗に対して保守的であって、それが普遍化した時点でようやく物語の中に登場するらしい。

最近、物語中に携帯電話が登場しているのをたまたま見たが、いまさらという感じだ。それに加えて、カツオくんが、インターネットでエッチなサイトを見ていてサザエさんに怒られる光景などがでてきた時には「サザエさん」の物語世界が崩壊する時と云ってよいかもしれない。そこには、古きよき日本家庭のリファレンスはもうない。

風俗は時とともに移りゆくものだが、これは日本だけの話ではない。例えば「少年ケニア」で知られるアフリカ中央部ケニアには、勇猛な狩猟民族ケニア族が有名だが、近代化によって、定住化、農耕民族化が進んでいるらしい。なにしろ、狩猟生活者からは税金はとれないので、政府が定住化を薦めているのである。長槍を手にサバンナを失踪するケニア族の戦士の姿はもはやなく、ケニア族の女達がたくましくも畑を耕す姿を見られるのだという

さあ、ここで2000年に相応しい「サザエさん」を提案したい。もう日本を舞台にしていてはだめだ。日本の風俗は今後加速的にさらなる変化を遂げるであろう。とすると、「サザエさん」に残されるのはよくファンに揶揄されるような、本気で時間が止まった世界になる道しかない。でも、そんなのちっとも面白くない。

この際、「サザエさん」がリアルタイムで連載されていた頃に似た時間が流れる舞台アフリカへと移すのだ。主人公はもちろん現地人。名づけて「サザエさんブラック」いかがだろう。お魚をくわえた野良猫のかわりに、畑を荒らす野良象をおいかける、黒人サザエさん。なんと爽やかな世界ではないだろうか。


第三十回

メディシン

初出公開: 1999/11/3 最終更新日: 1999/11/3

本日は薬のお話。ただし、麻薬とか「やくみつる」の話ではない。ガスター10という胃薬がある。例の「服用にあたっては使用上の注意を・・・」などと非常に説教くさいCMの薬である。これは日本という国の特徴なのだろうが、何にかんしても、縛りがきつい。本来は本人が気にしておくべき事象を、政府の側で勝手に決めて法制化している。つまりは、アメリカがよく文句を言ってくる類の規制というやつだ。

製薬業界もいろいろ規制があるのだが、先のガスター10は製薬業界での規制緩和のおりに薬局での販売が始まった製品で、あのうっとうしい警告は、この薬を販売するための約束なのだ。日本の薬局は、従来マイルドな薬しか置けなかった。マイルドとはあまり効かないが副作用がほとんどない薬と理解していただきたい。

それが規制緩和によって、よく効くが副作用がある薬も、薬局で販売してもよくなった。すべてではないが。ただし注意喚起はしっかりとすることということが、規制として残った。

この薬についてはH2ブロッカーと呼ばれる部分が、従来の規制に抵触していた成分なのだが、実はこの成分は、医者で既に処方されている。つまり、薬局は医者に比べて低く見られていたといってもよい。最近は医者にも、優秀ではない人もいると知られているが・・・。自分の親は、薬局の薬は効かない、しかし医者の薬は効くというようなことを言うが、医者の処方する薬には、薬局の薬より強力なものが存在するので、あたりまえだ。

さて日本でいうドラッグストアは、現在すごい勢いで流行している業態だが、元祖はアメリカにある。ドラッグというと、麻薬のイメージがあるが、それは間違いである。日本でいうところの大型薬局である。

日本との違いは、薬事法の違いによるラインナップにある。日本では、睡眠薬とか抗精神薬を手に入れる為には、医師の処方が必要だが、アメリカでは自己責任の範囲なので誰でも買うことができる。これに目をつけて、日本に密輸したりする人がいるらしい。

さて、話は胃薬に関しても日本では手に入らないような強力な胃薬を店頭で購入することが可能である。とにかく滅茶苦茶効くらしい。もちろん副作用もつよいはずで、アメリカは訴訟社会だけに「使用上の注意」も充実している。

曰く「胃が弱っている人は飲まないでください」

おいおい