与太話1999/12/30-2000/01/30

kowas


第四十一回

銀河鉄道1999

初出公開:初出公開:1999/12/30、最終更新日:1999/12/30

宇宙空間を1台の列車が突き進んでいる。驚くべきことに、その姿は蒸気機関車そのものに見えた。白い蒸気をたなびかせて宇宙の闇を飛び行くその姿は、まるで幻想的な絵画を思わせた。先頭車両である機関車のエンブレムには、「1999」の番号が掲げられている。実はこの機関車こそ、宇宙を駆けるスーパーエキスプレス銀河鉄道1999号なのだ。外見からは想像できないが、機関車の正体は超技術を駆使して建造された高性能宇宙船なのである。

1999号の車内。少年TT郎が向かいの席に座る美しい女性Mテルに声をかけた。 「ねえ、次はどこの星にいくの?」
「とても無責任な人がすんでいる星」
Mテルは、美しい眉をすこしゆがめると"体言止め"で言った。
TT郎が言葉を重ねようとした時、通路の扉がガラリと開き、車掌が姿を見せた。
「次はーポンニチー。ポンニチー。停車時間は10分になります」
車掌はそういうと次の車両へと去っていった。
「ポンニチかー」TT郎は呟いた。

1999号はやがて、ブルーに輝く惑星に近づいた。雲の波間を抜けると、眼下には巨大な都市が広がった。 「とても豊かな星だね」
TT郎が言った。
「でも、彼等の生活は借金でなりたっているのよ。実はかれらの星の予算の約40パーセントは公債で賄われているの。その上、償還された公債の返済額は約20パーセントもあるのよ」
「それじゃ、すぐ破綻してしまうよ。大丈夫なの」
「かれらはの技術は高度になりすぎて、大丈夫かどうかがわからなくなってしまったの。でも本当は簡単な算数ができればわかることだから、知らないふりをしているのよ」
「だれが、その借金を払ってくれるの」
「自分の子供や孫の世代に払ってもらおうと思っているのよ。借金を返さないといけない時代には自分達はもう死んでるだろうから関係ないと思っているんでしょうね」
「わあ、若い人はよく怒らないね」
Mテルは目を伏せるともう何も語らなかった。TT郎にはその姿がとても悲しげに見えた。

1999号はスペースポートに降りていった。そのスペースポートはまるで通常の列車の駅のような構造をもっている。
「ポンニチー。ポンニチー」
駅名がアナウンスされる。
TT郎が窓の外を見ると、ホームには若者ばかりがあふれ返っていた。1999号の扉が開いた時、そこに殺到する、若者の群れ群れ群れ!
「わあ、若い人達がどんどん乗り込んでくるよ!」
「いまこの星からは愛想をつかした若者がどんどん流出しているの」

たくさんの乗客を詰め込んだ1999号は、再び宇宙へと飛びだした。
青く美しいポンニチを眺めながらTT郎は言った。
「この星はいったいどうなるの?」
「さあ、過去のことは忘れて、私たちは未来のことだけを考えましょう」

1999号はスピードを上げると、星の海に飛び込んでいった。


第四十二回

与太話2000

初出公開:2000/1/6 最終更新日:2000/1/6

最近はへったのかもしれないけども、駅前なんかで綺麗な女の子が新興宗教の勧誘をしているのを見ると、それだけ容姿に恵まれていて、何故、宗教が必要になったのだろう、と思ったものだ。

新刊、村上龍さんの対談集「最前線」を読んで、ひどく共感した部分がある。本書では、対談相手のルポライターが、あるカルト教団がとてつもない犯罪に走ってしまった事件について、"なぜこんな事件が起こったのか"と外国のジャーナリストによく聞かれるという話をしている。ルポライターは質問に対して「寂しかったから」と答えたのだという。その返事に私は共感した。

人間が生きていくには、心の拠り所とか、心の支えとか、プライドとか、何と呼んでもいいんだけども、そのようなものが必要なようだ。パン以外に。それらは、価値観を共有した共同体が存在してはじめて姿を顕すらしい。

一方、情報化社会は、いままで見えなかったことを、すべて白日のもとに曝け出してしまう。そのおかげで我々は、世の中に様々な価値観、無限の選択肢が存在することを知りえた。ただし、この社会は副作用として、上に述べた共同体の根幹にある価値観=幻想をこなごなにしてしまうことがある。それは、その"価値観"が多くの場合誤解や詭弁で作られていて、情報化社会は、その手品のタネを簡単に明かしてしまうからである。

共同体の存在感が揺らげば、人間の精神的な支えも揺れる。日本人は、宗教やコミュニティのようなセーフティネットを放棄しているので、特に揺れに弱いのかもしれない。幻想共同体を失った人間の寂しさ、孤独は、自殺や心の病、カルト宗教への依存をよびこむほどの深さに達してしまうらしい。

先の某カルト教団の暴発は、膨らみすぎた幻想(積み上げてきた嘘)が大きくなりすぎて共同体を破壊しそうになった。それを防ぐためにせざるを得なかったという論がかつてあった。詭弁で積み上げてきた世界を現実だと言い張るには相当な無理があった。しかし、暴走してでも共同体を守りたい。彼らは共同体なしには"寂しくて"生きていけないのだから。

この共同体崩壊がもたらす揺らぎへの耐性には個人差があるらしくて、炭鉱のカナリアのように特別センシティブな人は世間では目立ってしまうが、私にはそんな人たちを馬鹿にしたりする気持ちはまったくない。むしろ明日はわが身だと思っているくらいだ。しかし、そんな状況を"面白い"思ってしまうところがあったりなんかして、友人から悪人呼ばわりされたりもする。

そんな世知辛い世間のなかでの私のスタンスは、世界は与太でできているんだから、リラックスして生きようという非常に軽いものだ。大体、ここまできたら全部笑い飛ばすしかないでしょ? さて、こんな感じで今年も続きます。本年も話半分で読んでください。よろしくお願いします。


第四十三回

怪しき極北の狼

初出公開:2000/1/10、最終更新日:2000/1/10

わたしが好きなプロレス団体に、「ファイティングネットワーク・リングス」がある。リングスには一般的なプロレス団体とは少し違うところがある。過去の与太話で、プロレスにとって重要なことは、ギミック(キャラクター)と、アングル(ストーリー)だと書いたが、もうひとつ重要なファクターがある。これはファンの間で"暗黙の了解"と呼ばれる、ルール外ルールのことを指す。それには、"ロープに投げられたら帰ってくる"とか"相手の技を受けないといけない”などがある。

リングス創始者の前田日明氏は、プロレスがインチキ呼ばわりされ市民権が得られない理由を、このわかりにくい暗黙の了解のためと断じ、これを廃したルールの整備をはじめた。そして、勝負論を重視した競技プロレスとでも云うものをつくりだした。その過程でリングスはプロレス団体と名乗ることをやめ、格闘技団体を名乗るのである。

プロレスを競技化する上で浮き上がってきた技術は、ボクシングのパンチ、柔道、レスリングの投げ、プロレスの間接技、キックボクシングのキックと、ほとんど何でもありの様相を呈した。それらの技術的魅力が十分に生かされないことには、プロスポーツとして失格なので、可能な限りすべての格闘スポーツの技術が生かせるルール作りが目標とされた。

前田日明は1991年5月団体旗揚げを行う。その参加選手は、キックボクサー、サンビスト、柔道家、アマチュアレスリング選手、空手家など、多岐にわたった。しかし、当時斬新であったこのなんでもありルールに、本当の意味で対応できる人材は非常に少なかった。

旗揚げ直後こそ、前田日明のカリスマ的人気によって、好調な観客動員が出来たが、近い時期にマンネリに陥ってしまうことは目に見えていた。リングスにとって人材の確保、育成は急務であった。リングスはそんな折、ペレストロイカによる緊張緩和が進む、旧ソ連に目をつけた。この国では、一般市民の格闘技こそ禁じられていたが、アマチュアレスリングや柔道においての五輪での実績は素晴らしかったし、リングス向けといえる、関節技によって争う格闘スポーツ”サンボ”の創始国であった。

リングスは、競技審議委員長でもある、日本サンボ連盟の長、堀米氏のパイプを使い、ロシアに接近した。そして、1991年12月7日に予定されたビッグマッチ「炎上」に三人のロシア人格闘家が出場することになった。

さて、選手の確保はできた。しかし、興行団体としての本当の仕事はここからはじまる。それは、パブリシティ(宣伝活動)である。特に、今回は一万人クラスの動員を目指したビックマッチである。失敗は許されない。

格闘技団体はプロレス団体と比べて、アングル(ストーリー)部分での集客は難しい。試合の勝ち負けが重視されるからである。広報担当の仕事は、今回来日する3人のロシア人をいかに魅力的に伝えるかに尽きた。今までほとんど国交がなかった国から来た未知の強豪というような紹介だけでは、1万人の動員は難しい。3人のうち、メインイベントで前田日明と戦う選手だけでも、強烈なインパクトが欲しいところだった。

幸運にも、この対戦相手ヴォルク・ハンは特別な男だった。黒い短髪、彫りの深い青ざめたかのような風貌。身長190cm、体重110kg。本名は、ガムザトキノフマゴメット・ハンという。蒼き狼とよばれたモンゴルの英雄と同じ名前。リングネームもロシア語でいう狼"ヴォルク"を冠している。

彼が特別な理由は、彼の操る格闘技が"コマンド・サンボ"という軍隊格闘技であることであった。"コマンド・サンボ"とはロシアの国技、サンボをベースに、ルールのない戦いが要求される戦場で使う格闘技である。これは総合格闘技を標榜するリングスで闘うにはぴったりの技術であった。

しかもこのミステリアスな軍隊格闘技が、格闘技ファンの興味を引かないはずはなかった。そして、これはうわさだが、さらにインパクトを上げるため、彼は軍隊の格闘技教官である、とのプロフィールが捏造された、という。それはまるで漫画「北斗の拳」が現実になったかのような異様なキャラクター付けといえた。後日、ハンが本当に格闘教官であったことが発覚するというおまけもあった。

そして、試合当日、会場である有明コロシアムには1万人を超える観客が詰め掛けた。メインイベント、前田日明VSヴォルク・ハンの戦いが始まる。メインまでのロシア人格闘家は残念ながら、さしたる驚きを観客に提供できず、ハンの責任は重大であった。しかも1万人もの観客の中で闘うのだ、当然初めての経験であろう。緊張するなというのは到底無理な要求であった。

ついに、試合開始!そしてハンはそれまでファンが見たこともないような技の数々を見せつけるのである。飛びつき腕十字固め、ロシア柔道式裏投げ、様々なサンボ式カニばさみ、ヴィクトル投げ、そして、クロスヒールホールド!観客は見たことのない技の数々に酔いしれた。そして、強い!

最強の男と唄われた前田日明を相手にして一歩も引かない。しかも彼はプロ初試合なのだ!前田日明は、今まで見たことのない技の仕掛けの数々に持ち前の対応力で対抗。凌ぎに凌ぐ。そして、緊張によるものか、スタミナを消耗したハンの隙を見事について、12分24秒足固めによって勝利するのである。

敗れたとはいえ、初めてプロのリングに上がり、前田日明を追い詰めるほどの強さを誇る男とは何者なのであろうか?それが、極北の狼、ヴォルク・ハンなのだ。その後、彼がリングスで活躍を続け、ついには前田日明を破ってしまったのは云うまでもない。

たくさんのファンに愛され、経済的にも潤ったであろうハンは、この日本という国を愛し、そして、近しい人にもそれを伝えていることだろう。そして私にとって、いやたくさんのファンにとっても、ロシアが近い国となった。


第四十四回

魔の料理人

初出公開:2000/1/22、 最終更新日:2000/1/22

テレビ番組「料理の鉄人」がまだマイナーだったころ、挑戦者にとある東欧料理のコックが出演したことがある。そのコックは矮躯の老婆で、そのしわくちゃの顔は、東欧人老婆のステレオタイプだった。その体はあまりにも弱々しげで、60分1本勝負の料理勝負など果たしてできるのかと思えた。

この料理対決番組では、挑戦者に対戦相手を選択する権利がある。この老婆、迷うことなく"和の鉄人"道場六三郎を選んだ。道場といえば番組の誇る最強の料理人である。

主催者役の鹿賀丈史が、手を振ると、その日勝負すべき素材が現われた。その素材はゲテもの、「食用蛙」であった。私はこの番組では、多少挑戦者に有利な素材が出来くるものと思っていたので、東欧料理にカエル料理などあったものかと考えてみたがピンとこない。

両者、怪訝な表情のまま、料理を開始。解説者によると料理の内容は、居酒屋で出てくる類の料理法あるいは中華料理にあるガマ料理のごときものになるのではないかとの話。

私の経験上、カエルは鶏のような味で、見てくれこそ不気味だが、そんなに不味くはない。ただし、調理バリエーションはひどく制限されるだろうと思った。

東欧の老婆は、メイン料理として鍋料理を選択したらしく、深鍋にトマトをベースにしたスープを作り始めた。私はこの光景を見て、なるほどと思った。つまり、カエルと鍋料理である。番組の制作者は、鍋でカエルを煮込む東欧の老婆の絵が欲しかったのだ。つまり、なにやらわけのわからない煮込みをつくる魔女の姿を、視聴者に想像させたかったのであろう。  その為のカエル勝負なのだ。なんたる悪趣味。下衆さ。テレビとはそんなものなんだろう。

料理は淡々と進み、三品ずつだったかの料理が出来上がった。老婆の体力が私には心配だったが、あれほど激しく動き回っていたわりには涼やかで、汗もほとんどかいていないようだった。もっとも汗腺があまり機能していないのかも知れないが。

試食タイム。鹿賀丈史はゲテモノ料理は苦手らしく、やたらとくるしそうな顔をしてちょびっとづつしか口をつけていないのが笑えた。  審査員はそれらしいコメントをつけながらなんとか試食していた。いや、なんとかどころかさすがテレビにでてくるような料理人の料理である。"おいしい"のコメント目白押しである。私からみても結構おいしそうだった。

結果、老婆は"鉄人"道場六三郎に敗れてしまう。道場と握手する老婆、下衆な制作側の思惑とは裏腹に爽やかなエンディングであった。

その後、奇妙な事件があった。その時審査員を務めていたタレント2名と料理研究家1名(誰かは失念)が行方不明だというのだ。それも番組終了後、控え室から同時に失踪したのだという。そしてさらに奇妙なことに、その部屋からはどこからきたのかヒキガエルの姿が見られたという。

私はといえば、鹿賀丈史氏の顔がやたらとカエルに似てきたのが心配でならない。彼もいつか失踪してしまうのだろうか?


第四十五回

おいらはドラマ

初出公開:2000/1/30、 最終更新日:2000/1/30

ドラマ「ビューティフルライフ」面白いです。私は普段あまりドラマを見るほうではないのだが、久しぶりに楽しませてもらっている。思うに、日本のドラマはシナリオが雑なものが多くてたびたびがっかりさせられる。私は小説読みなので、話の筋に特にこだわる。しかし、出演者にはこだわらない。ただし、原田知世だけは別。なんじゃそら。

話の筋の面白さにこだわれば、日本のTVドラマよりアメリカのそれがほとんど優れていると思う。NHKが日曜深夜にやる帯ドラマは結構見ていて、現在放映中の「アリーマイラブ2」は筋が面白い上にヒロインはとてもキュート。

アメリカのテレビドラマは、放映が続けば続くほど、内容が面白くなる。日本のドラマがだんだんマンネリになるのと対照的な話だ。聞いた話によると、企画がスタートし、ある程度のヒットを飛ばすと、優秀なシナリオライターたちが、シナリオの売り込みをはじめるのだそうだ。つまり、放映が続けば続くほど、質の高いシナリオライターが脚本を売り込みはじめるので、ますます面白くなる。これは道理だ。

しかも、シナリオライターの新陳代謝がいやおうなく進むのでマンネリがおこらない。なんとも自由競争実力主義、アメリカらしい話だ。 日本では、途中でシナリオライターが交代することは稀なようで、よくも悪くも質は安定していると云えるが、面白くないドラマは面白くないまま。面白いドラマがさらに面白くなることもおこりにくい。

自分が見た番組では「スタートレック・ネクストジェネレーション」「ER」などが好例で、前者では第一クール(1-13話)とその後の話の面白さは天と地ほども異なる。

またコアなファンはアメリカのドラマシリーズを評価するときに、クールを区切りに話をする。曰く「第3クールがもうすぐはじまるらしい」とか「第5クールより第4クールのほうがよかった」とかいう感じで。

NHK深夜のアメリカドラマ帯で「ビバリーヒルズ高校生白書」という、長寿ドラマを昔やっていて実はひそかに楽しみに見ていた。初期の頃、主人公の妹役で出ていたシャナン・ドハーティーがえらいかわいい娘で、陰ながら応援していたのだけども、いつのころからか出てこなくなった。

このような話をしたら、「その娘は、すごく性格が悪くて、役を降ろされたらしい」という答えをもらった。別の場でも「あの娘、性格がすごく悪いらしいよ」と教えられたりして、なんだ、皆けっこう見てるやん。もっとマイナーな存在かと思ってた。と反省をしながら、つまらない番組を国内で作るくらいなら、海外のドラマをゴールデンタイムにやればいいのになんてことを考えたりした。

その後、「Xファイル」がゴールデンタイムに放映され好評を博した。私が好きなドラマではないんだけどね。