与太話2000/3/19-2000/5/17

kowas


第五十一回

ささやかな幽霊譚

初出公開:2000/3/19、最終更新日:2000/3/19

わたしが学生のころ、友人の下宿に幽霊がでるという話があった。彼が言うには、6畳のワンルームマンションの一画に、モヤがかかるような気がするときがあったという。目の錯覚だと思っていたらしいが 、ある時そのモヤが人の形を取ったのだという。

わたしはその話を遮って「男?女?美人?」と聞くと、彼は笑って女性だよと答えた。

髪は長く、どういうわけか淡いピンクのパジャマらしきものを着ている。体形は明らかに女性。姿がぼんやりしているので、はっきりした顔立ちまではわからない。ただ、顔の造作は整っているので綺麗だとは思う。彼はそう言った。

彼はもともと幽霊を信じていない男で、人は死ねば土になると思っていた。今回の事件は、彼の人生観に大きなショックと恐怖を与えたかに思えたが、生来の剛毅さと呑気さで、彼女の存在を簡単に受け入れてしまった。

彼の言葉によると「別に害はないから」とのことだ。ただ、人は本当に驚くと言葉がでなくなるねと付け加えた。モヤの時代が長かったそうだから、人の形になったところで、部屋に作り付けのインテリアぐらいに感じていたのかもしれない。

彼は、人に馬鹿にされることを恐れてしばらくこの事を黙っていた。また、貧乏学生だったので、引越しでこの状況から逃れることなどチリほども思わなかったらしい。「見に行っていいか?」と私が聞くと、もういなくなった、と言う。

彼女の存在に慣れかけた頃、人間の死後について非常に興味をもった彼は、その幽霊の前に仁王立ちとなり、話しかけた。 「神様はいるのか?天国はあるのか?」

いつもなんの反応を見せない幽霊は、そのときゆっくりと顔を右、左、右と動かして、まるでハリウッドの特殊効果のように姿を消したのだという。

彼は真面目な顔で私に言った。「やっぱり神様もいないし、天国もないんやな」

幽霊はいるようだけどねと、わたしは思ったが黙っていた。


第五十二回

あなたが花粉症なわけ

初出公開:2000/3/26、 最終更新日:2000/3/26

花粉症は現代病なんだろうか?10年くらい前は、花粉症などという病気は聞いたことはなかったと思う。ところが、花粉症そのものが伝染力をもつかのように、患者は増加している。 私は花粉症ではないが、花粉吸引の許容量に個人差があるらしくて、花粉の散布濃度が高まれば、今年から仲間入りということになりかねない。

花粉症が現代において猛威をふるうようになった理由には、諸説ある。 まず、人間の側が花粉に弱くなったという説。人口着色料、食品添加物、農薬、抗生物質、環境ホルモン。ちょっと思いついたキーワードを並べただけで震えがくるが、このような物質の摂取を続けたために、日本人の体質が弱くなったという説だ。

次に人間の環境破壊によるものという説。人間が杉をたくさん伐採しすぎたので、個体数の減少に脅威を感じた杉が花粉の量をふやした、というものだ。少しオカルト的ではある。

先日のテレビで、猿山の猿が花粉症に苦しんでいますというのを見た。猿は人間に比べて、食品添加物にやられることが少ないだろうから、初めの説は少し苦しい。すると、環境破壊説が正しいのか。しかし、杉が減ったのにスギ花粉が増えたというのは納得できないはなしだ。

最近、読んだ本で、このような話があった。日本は近代以降、製鉄とか、都市の発展のために、たくさんの木を伐採してきた。そのために、禿山が増え、風雨による土壌の流出が始まる。それは、山地の保水力の低下を意味するのと同時に、河川の川底を底上げする土砂の過流入をももたらす。やがてやってくるのは洪水である。

これらの問題を防ぐ為に、植林が盛んにおこなわれるようになるのだが、そこで植林に選ばれた種が杉だったという。選ばれた理由は、病気に強く、生育が早く、材木販売にも向くからである。広葉樹は育てるのが難しいそうだ。

ところがその後、材木は輸入されることが多くなり、林業は弱体化する。残ったのは杉林だ。かくして、杉林が増えて花粉もふえた。花粉症患者も増えた。結局、人は因果律から逃れられないようだ。


第五十三回

人種差別

初出公開:2000/4/18、 最終更新日:2000/4/18

元中日ドラゴンズのストッパー、宣銅烈(ソンドンヨル)が猛威をふるっていた頃。阪神ファンな友人が言った。

「俺、ソンドンヨル嫌いや」

「なんで?」

「あいつの苗字の読みかたが変やから」

ここでの模範返答は「日本人ちゃうちゃう」である。

またしても友人の話。中国人が経営する中華料理店にて、そんなに混んでいるわけではないのに料理がなかなかこない。ウエイターに少し怒りながら確認すると彼はこう言ったそうだ。

「ワタシチュウゴク(ジン)ダカラワカラナイネー」

ここでの彼の返答は

「チューゴクカンケイナイ!」(何故かカタコトで)

これこそ、この場合の模範返答であろう。

会社でアルバイトを雇うことになり、近所にある、内外学生センターで募集を行った。以前、中国の留学生のかたから応募があったことがあり(その時は業務内容の問題で断った)、今回は留学生の方の採用もかまわないと考えていた。

スタッフにどんな人がいいかと聞くと、黒人が良いという。ラップをいつも聞いている人ならなお良いという。「グッモーニング、メーーーーン」と、朝の挨拶をしてくれる人なら、是非一緒に仕事したいと言う。ちなみに、私の回答は却下であった。

会社の近所にオープンカフェがあり、私はその店が好きで会社が終わった後にそこによく寄る。そこは、フランス人オーナーが経営する店だそうで、日本語が話せないフランス人ウエイターもいる。(実は風貌がイタリア人風)

私がその店をひいきにしている理由は、おいしいカフェオレを飲ませてくれるからなのだが、実はそのフランス人ウエイターの仕事振りを観察するのも理由のひとつだ。

店がオープンした頃、カフェオレをオーダーしたわたしに彼がこう言った。

「450円シルブプレー」

その言葉が妙におかしくて、いまだに彼のファンでいる。


第五十四回

おじゃるまる

初出公開:2000/5/11、 最終更新日:2000/5/11

NHKの子供向けアニメ「おじゃるまる」が大ヒットだそうだ。平安京からやってきた貴族の子供、「坂上おじゃるまる」が現代で大活躍するストーリーである。原作者の犬丸りん氏は青年誌コミックモーニング出身で、わたしも結構すきだったのだが、いつのころか同誌から姿を消していた。そして今回、ひさしぶりに私の目に触れた彼の作品が「おじゃるまる」だったというわけ。

さて、おじゃるまる。彼は時間旅行という、子供向けヒーローに恥じない超能力をもっているが、実はおおなまけものでしゃべりもひどくタルイ。理由は貴族だかららしいのだが、とてもヒーローとは思えない。いままでのヒーローとはことごとくマーケティングが違う.。彼の最大の魅力は、その風貌、しゃべりにある。その特性は、最近話題の癒し能力である。

癒しヒーローがもてはやされるとは世の中変わったものだ。私の子供のころのヒーローなど、正義を常に語ってはいるが、結局、暴力で決着をつけるヒーローしかいなかった。

話がかわるが、このおじゃるまる。貴族だけに家来がいる。その家来は虫。ムシ。BUG。むしむし大行進の虫である。カナブンのようにも見えるが、蛍である。

このムシ、家来としての機能をはたしているのか?私の時代のヒーローにはそんな家来もいなかった。もう私は時代についていけません。でも、おじゃるまるを結構好きではある。自分も癒されたいのかも…。

最後に小ネタを。嵐の新曲「サンライズ日本」わたしがこの題名を聞いて真っ先に連想したのは「大東亜共栄圏」であった。中国から「日本は軍国主義への道を歩みだそうとしている」とかクレームをつけられなければいいが。(でもクレームになったら面白そう)


第五十五回

ジャンボ鶴田、追悼

初出公開:2000/5/17、最終更新日:2000/5/17

「怪物」の異名をとった元プロレスラー、ジャンボ鶴田(本名:鶴田友美さん)が亡くなった。現役時、196センチ、127キロを誇った肉体も、病魔には勝てなかったようだ。享年49歳。

ミュンヘン5輪にグレコローマン・レスリングの日本代表として参加し、その後、名セリフ「全日本プロレスに就職します」とともにプロレス入り。その恵まれた肉体とアマレスの素地をいかしたファイトでファンを魅了した。

私がジャンボ鶴田を知ったのは、中学生の時。バリバリの猪木派(新日本プロレス)であった私は、原理主義者の如く、猪木のライバル、ジャイアント馬場の団体である全日本プロレスを目の敵にしていた。

当時既に、ジャイアント馬場はジャンボ鶴田にエースを譲る形で一歩引いており、格闘技路線を突き進む新日本プロレスに魅了されていた私の視線は、アメリカンプロレス路線を進む全日本プロレスのエース、ジャンボ鶴田の粗さがしに注がれていた。

今思えば、ジャンボ鶴田は当時から異常なほどの強さを持っていたのだが、彼はプロレス特有のオーバーアクションが非常に苦手で、特に強烈な攻撃をくらった後のダウン時に見せる痙攣のアクションは、当時のファンから失笑をかったものだった。

ある日私は、ジャンボ鶴田のインタビューをテレビで見た。その中で彼は自分の必殺技バックドロップについて語っていた。曰く、彼は戦う相手によって、バックドロップで相手を打ち付ける角度を調整しているというのだ。

いきなり手加減の話である!プロレス八百長論者を喜ばせるかのような発言に思えるが真意はそこにはない。プロレスは戦う相手に怪我をさせてはならない。肉体的に異常に恵まれたかれは、その戦闘能力を完全に開放することよりも、敵をいかに怪我をさせないかに腐心していたのだ。その強さゆえに。

その後、相撲出身の頑丈なライバル、天龍源一郎の登場により、彼は黄金時代を迎える。天龍こそ、「怪物」ジャンボ鶴田がはじめて全力を発揮できる相手であった。(ただし、その天龍ですら、病院おくりにされたことがある)

当時、最強の名声を前田日明と二分したジャンボ鶴田。そんな人間ですら死ぬ。

しかし、プロレスファンは彼を忘れず、語り継ぐのだろう。すごい男がいたと。