与太話 2000/6/11-2000/09/05

kowas


第五十六回

私的、西原理恵子論

初出公開:2000/6/11、最終更新日:2000/6/11

私は、漫画家西原理恵子のファンで、彼女の作品はほとんど読んでいる(はず)。BS漫画夜話にも取り上げられたくらいなので、メジャーには違いないのだが、作品はキワモノである。

初めて彼女の作品を見たのは、麻雀漫画雑誌で連載していた「まーじゃんほうろうき」である。ちなみに阿佐田哲也の「麻雀放浪記」とはなんの関係もない。

この作品は、麻雀のルールも知らないど素人である作者が、麻雀に関わっていく過程を追いかけたものだ。ただし、その関わり方が半端ではない。毎回毎回、彼女がいかにギャンブルでお金を失うかが、面白おかしく描かれる。彼女が置かれる状況はいつも深刻だが、彼女の異常な打たれ強さがそれを痛快な笑いへと変えてしまう。

彼女はその後色々な作品を手がけ、平成9年には「ぼくんち」(小学館)で文春漫画賞を受賞する。

「ぼくんち」では、貧しい地方都市に生まれた少年が成長していく姿を描いている。作中の貧しさの描写はこの現代日本においてファンタジーですらあるが、彼女の原風景が下敷きになっていてリアルを感じる。登場人物は、ほとんど全員がとても貧しい人々であると同時に、ろくでなしであり、間抜けであり、人間のクズである。

主人公は両親に捨てられ、売春で生計を立てる姉のもとで暮らしている。このどうしようもない町で生まれた彼らは、生まれたときからノーチャンスであり、一発逆転などもありえない世界にいる。しかし、それでもそこにはドラマがあり、喜怒哀楽がある。

現代において語られる人間のあるべき姿は、小中高大学と勉強して社会に出て会社に勤め、勝利し、人生の勝ち組たれとでも言うものだと思う。しかし、それ以外の生き方も存在するということをこの物語は教えてくれる。どうしようもなくても、人間のクズですら、人は生きていてよい。

旦那さんとの共作である近作「アジアパー伝」では、舞台をタイを中心としたアジアとしている。

海外を舞台とした物語にはスーパービジネスマンものが多いが、この物語は、日本で苦闘し、タイに脱出し、タイでも苦闘(あまり前向きではない)する日本人をほぼドキュメント(多分)で描く。その内容は前記「ぼくんち」のように、ほとんどどうしようもない人々の物語である。

彼女の作品世界には、英雄がいない。現れるのは「北斗の拳なんかで主人公に一撃で倒されるためだけにでてくる雑魚敵にいじめられる人々」のような人間である。

ところがこのぱっとしない人々の物語にはなぜか心が洗われる。そして人間の生命力というものを感じるのだ。


第五十七回

いとしこいしを称える

初出公開:2000/6/19 最終更新日:2000/6/19

近頃、漫才番組がひどく減った。流行ってないといえばそれまでだが、漫才好きの自分としてはかなりさびしい状況である。

いまやお笑い番組といえば、バラエティ番組がその代名詞となっている。バラエティの笑いも漫才の笑いも同じようなもんだろうと言われることもあるが、ふたつの笑いは断固として違うのである。細かく説明すると、バラエティ番組の笑いは、コントの笑いであり、漫才の笑いとは種自体が違う。

例えればコント=演劇による笑いであり、漫才=物語による笑いである。さらに言えば、漫才とは吟遊詩人の物語りが現代風に変化したものである思う。

現在はコント全盛である。コントの良さは情報の多さゆえのわかり易さにあり、笑いがスピーディーに伝わりやすい。いかにも現代において喜ばれるジャンルであると得心がいく。 そのコントよりも漫才が素晴らしいと考えている理由というのは、コントはどんなナンセンスな設定も簡単に持ち出せるのに対して、漫才はそれらを全て言葉で説明しなくてはいけないという意味で、より高度な技術を要求されると思うからである。

その他の理由には1980年代の漫才ブームの洗礼を受けているからということもある。当時は全国放送はもちろん、私が住んでいた大阪のテレビ放送ともなると漫才が流れない日などなかった。その中でスポットを浴びた漫才の天才には、やすしきよしがおり、オール阪神・巨人がいた。やがてブームが去り、ダウンタウンが現われた頃が漫才というジャンルがコントに駆逐される基点であったのだと思っている。

ダウンタウンの演題は3つくらいしか覚えてないが、そのナンセンス漫才は革新的であった。ナンセンスものでダウンタウンを追従しようとしたライバル達はしゃべくりではそのナンセンス世界を模倣することができず、より表現の敷居が低いコントへと芸を変えていった。

これ以降今に至るまで、しゃべくり漫才で実力を誇る芸人は、ますだおかだのみになってしまったというのが個人的な見解である。ほかはみなコントに行ってしまった。

ここに、いとしこいしという漫才師がいる。名前のレトロっぷり通り、もうかなりご年配の二人組である。お年ゆえに勢いというのはないし、ネタも現代的とはいえないだろう。

「この前、おいしいので有名な肉まんを買ったら、道に落としてしまったんや」
「ほう」
「それの上をまた、自転車が轢いていってしまったんや」
「難儀やな」
「それで思い出したんやけど、君の嫁ハン元気か?」
「なんでや!」

文章にしてしまうと、なんでもない地味な話だが、これをテンポと間合いで笑わせるのである。これはまさに語りの宝石とでもいうしかない技術で、その芸術的な話運びに聞き惚れるしかない。これに比べると、場の勢いに頼っただけのコントなどは、漫才にまだまだ敵わないと思うのである。


第五十八回

山笠がくる

初出公開:2000/7/11 最終更新日:2000/7/11

飾り山博多の町に山笠の季節がやってきた。この時期になると各所に飾り山の展示がおこなわれる。

そして、追い山ならし、見せ山のあと、本番である追い山へと突入するのが例年のスケジュールである。博多祇園山笠は勇壮なお祭りで、博多ここにありを感じるにはもってこいなのだが、私の一番の驚きは、このお祭りの運営方法にある。地元財界による資金援助はあるにしろ、ほとんどが地元の人々によるボランティアだというのだ。

お祭りの一ヶ月も前になると、博多には町会ごとに模様を違えた浴衣(はっぴか?)を身にまとったおっちゃんたちの群れが現われる。 彼らは昼間から酒を飲んでいるらしく赤ら顔で、飾り山を監視したり追い山の作戦会議をしたりしている。

ここで素朴な疑問が生まれる。彼らはいつ仕事をするのか?

答え->しない。

一ヶ月の間、これに携わる人々のほとんどは仕事を休み、お祭りに命をかけるのだそうだ。一般のサラリーマンには参加が難しいお祭りであることがお分かりいただけるだろうか。 なお、追い山などでは参加できるので、お祭りをクリエートする側になれるかどうかという意味で述べている。

このお祭りは、地元の自営業者で、一ヶ月の休みが可能な人によって支えられている。ただ、この不況によって、それをささえる自営業者の多くが廃業に追い込まれているという現実がある。

しかも、日本全体がこの不景気では、博多に限らずボランティアで運営されるイベントが存続していくことは難しくなっていくのだろう。かと言って、この博多祇園山笠自体が企画会社などの力で存続するのでは、それはすでに博多祇園山笠ではない。人形作って魂入れずとでも言おうか。

現在のような宜しくない情勢の中、博多祇園山笠をささえるコミュニティの強固さは拍手に値する。これが失われる時とは、日本での地域社会の枠組みが完全に崩壊したときではないかとすら思うほどだ。

経済合理性の追求はコミュニティをしたたかに破壊する。しかし、経済的な不合理を超えて、コミュニティは守られるべきものだ。国家はあらゆる規制緩和を行っても、わずかに地域社会の枠組みは法によって守ってほしい。

地域社会に参加することがない、転勤族の戯言ではあるけども。


第五十九回

サイバー・プロミストランド

初出公開:2000/8/18 最終更新日:2000/8/18

技術的な興味で、ドメインを取得した。なになにドットコムというやつのことだ。

そして、このサイト自体も開設一周年を過ぎた。今回で60話になるが、何人かの読者が、私の身勝手な話に付き合ってくれているわけで、まことにありがたく思っている。

話を戻す。いまや正直言って、ドメインを持つこと自体には飽きてきており、これを維持する為、プロバイダと契約する以上のお金を掛けていることに迷いがあった。

COMドメインを持つこと自体は、高価だという感覚はなかった。ちなみに70ドルで2年間権利の取得ができる。お金がかかるのは、ドメインサーバを維持することである。毎月お金を支払わないといけないので、累計で考えると結構な額になる。

ということで、どうしようかしばらく考えていたのだが、結局はドメイン継続に落ち着いた。判断理由の主なところは、自分が転勤族だからだ。

私は大阪出身で、いままで名古屋、福岡と転勤してきた。2回も転勤すると、友人達から消息不明の烙印が押されてしまう。特に私は、面倒くさがりなので、いちいち転居を知らせることもなく、引越ししたこと自体を知らない友人も多い。

薄情なことに、もともと別れというやつが苦になる人間ではなかった。ところが不思議なもので、年齢を重ねるとともに別れというのが非常に寂しく思えるようになってきた。いまでは、いっぱしのセンチメンタル男である。

かと言って、面倒くさがりであることは変わらないので、あまり会えなくなった人との人間関係を続けるのも大変だ。と考えると、ドメインを持っているというのは非常に便利であることがわかってきた。

ドメインネームは簡単だから覚えやすいし、プロバイダを変えても、アドレスが変わらない。 それに自分自身がどこに引越しても、たとえ海外に行ったとしても、やはりドメインは変わることがない。常に同じ場所に存在する。そしてそこにアクセスさえできれば、いつも私とコンタクトをとることが出来る。

ドメインは仮想現実の存在だから、距離も時間も超越して、自分の気持ちさえ続けば、いつまでもそこに存在しつづけることができる。そして、その存在の時間がある一定を超えたあるとき、まるでそこが約束の地であるかのような錯覚を覚えるかもしれない。

ファンタジーな妄想だが、いつかここが自分以外の人にとっても郷愁を感じさせる場所になるほど続けばいいなと思ったりする。


第六十回

お金のちから

初出公開:2000/9/5 最終更新日:2000/9/5

F-1を見ていると、お金があるチームとそうではないチームのマシンの戦闘力差が露骨に見えてしらけてしまう。

資本主義の世の中なので、お金のある奴が強いっていうのは重々わかっちゃいるけれども、貧乏チームが、レース開始早々リタイアなんかしてるのを見ると、サワヤカってわけにはいかんわな。貧乏人チームに所属するわたしとしては。

東大の学生の親御さんの平均年収は、長崎大学のそれの4倍というのを聞いて、なるほどと思った覚えがあるが、なんにせよお金があるというのは強い。気張ったところでこれが現実だ。

それでも日本はいろんな国に比べて機会平等だとは思っている。念のため。しかし、ベストセラー「不平等社会日本」(中公新書)なんかを読むと、そんなことないなんて言うひともいる。

経済戦争とかストック(F-1とか)を競う戦いで、金持ちが強いってのは仕方ないとは思うけど、スポーツの領域までその現実が浸透してくるとなんか辛いものがある。

大リーグなんかはそうだし、最近では日本の野球ですらそんな感じになってきた。読売巨人軍のことである。長島監督というハンデ(失礼)でバランスをとってはいるものの、巨人軍の強さは、お金の強さというしかない。巨人を応援する皆さん、巨人を応援するってのは、お金持ちが強いのを認めるという行為なんですよ。

聖書でも、「富める者はますます富み、失う者はますます失うであろう」といわれているが、それを認めてしまったらわれわれ貧乏人の負けなのだ。だから、我々は、金権巨人軍に対抗する球団を応援するべきなのだ。

長々と何がいいたいのかって?

だから、私は阪神を応援しますってことですよ(苦笑)