与太話 2000/6/11-2000/09/05

kowas


第六十六回

携帯電話でコーラを買う

初出公開:2001/4/7 最終更新日:2001/4/7

日本経済新聞によると、ドコモのi-modeで自動販売機を利用するための実証実験が始まるそうだ。携帯電話のアカウントを小銭入れ代わりに使おうという計画である。これで、小銭の持ち合わせがなくて自動販売機を使えない面倒が、解消されるわけだ。ただし、これは一種のクレジット決済なので、クレジットに不慣れな人がこの便利さに嵌ってしまうと、クレジットカード破産ならぬi-mode破産に陥ってしまうかもしれない。

ノキアという携帯電話メーカをご存知であろうか。フィンランドを本拠とするビックビジネスであり、日本でこそあまり振るわないものの、欧州ではかなりの携帯電話シェアを持っている。フィンランドではノキアがすでにこのようなサービスを開始しているらしい。ノキアではどうやって自動販売機ををコントロールする仕組みを実現しているのだろうか。いつものようにうろ覚えで申し訳ないが、自動販売機の商品のそれぞれに電話番号が振ってあり、そこにダイヤルすれば希望の飲み物が出てくるのである。

日本でも同じような運用になると予想されるが、この仕組みなら自動販売機で買えるものは全て対応可能だろう。その他にも、実用済のi-modeを利用したビデオ予約など携帯電話の新しい利用法が広がっていくに違いない。

ただ、どんなに技術が進歩したところで単純なミスがなくなることはないだろう。例えば、自動販売機でコーラが欲しくてボタンを押したが、コーヒーが出てきたというような間違いが失われるとは思えない。自動販売機でのボタンの押し間違いであれば、違う商品が出てきてしまうくらいで済むだろうが、携帯電話でコーラを買おうとして、購入用電話番号を間違ってしまった為に、カップラーメンが出てきてしまったりしたり、沖縄の自動販売機でコーラを買おうとしたら、北海道の自動販売機からコーヒーがでてきたりしたら、「なかなかやるなi-mode」と日本のIT戦略の深化に感じ入ったりするのかなぁと思ったりするわけない。


第六十七回

ハンニバル

初出公開:2001/6/2 最終更新日:2002/7/15

映画「ハンニバル」は、ヒット映画「羊達の沈黙」の続編である。

医学博士にして、連続猟奇殺人犯、ハンニバル・レクター博士と、FBI捜査官、クラリス・スターリングの物語である。監督は「グラジエーター」のリドリー・スコット。

クラリス・スターリング役のジュリアン・ムーアが結構いい。FBI捜査官にしてはほっそりしたプロポーションが設定とミスマッチだが、好みだからOKだ。

名優アンソニー・ホプキンスは、レクター博士を背徳的な魅力で演じている。レクター博士は作中、悪のカリスマとして描かれる。彼の人生哲学に対する異常なまでの確信は、人を惹きつける磁力となる。

今の世の中には、価値観の軸を喪失した人がたくさんいる。それは、価値観の選択肢が広がったからこそではないだろうか。昔は、経済的、世間的、知的理由によって選択肢のない、不自由な時代であったろう。ところが現代のように選択肢が多くなりすぎても人は彷徨ってしまうのだから不思議なものである。

その一方で、レクター博士はその世間では到底受け入れられない自分の価値観に自信をもっている。それを他人に非難されようが関係ない。その態度はあるべき価値観に揺らぐ人々の中にあって強烈なコントラストを描き出す。

レクター博士の認識は一般人には壊れているように思えるが、彼の狂気が並ではない証拠に彼は自分と他者との違いや距離を理解していることがある。狂人は自分の狂気に気付けないというが、彼は世間と自分の差異を認識している。それでいて、自分の"快"のありかを知り、異端を選択し、その選択ゆえの莫大なリスクを肯定しているのである。

作中で彼は超人として描かれている。彼にはタブーがないので、他人が邪魔ならあっさり殺してしまうし、あまつさえその人の肉を料理して食べてしまう。まあ殺人まで基本メニューに入っている人とは喧嘩をしちゃいけないということだ。

さて、ここまででは、彼の悪魔性をまだ語っていない。彼は、殺人を犯し、人肉食いもおこなう。そしてその価値観を自身で肯定しているということは述べた。ここまでで、確かに十分異常なのだが、近代に現れた食人族だと思えば、野生に近い人間というだけで、強烈な背徳は立ち昇ってこない。

彼が悪魔的だというのは、彼が"非常な面白がり"であるところにあるのではないかと思う。自分という悪のカリスマが発する狂気の輻射によって価値観を見失い戸惑う人間達を堕落させて、快感を得る。さらに面白さのためには、危険に飛び込み、自分を犠牲にすることも厭わない。

世界のベストセラー"聖書"に登場する悪魔達は、人間を誘惑するためにやってくる。人を堕落させるために、禁断の実を勧め、世界の王になることを勧める。悪魔は殺人者としてではなく、堕落に誘うものとして描かれるのである。つまり堕落への誘惑こそが、キリスト教世界で考えられる最大の悪徳なのだなと思うのである。

すると、堕落へと誘うものを悪魔と定義するなら、人を励ますものを天使と定義すればよいのだろうか。人をインスパイアし、導くもの達。そのものこそが天の御遣いである。なんとなく納得できる話ではある。


第六十八回

くまのプサン

初出公開:2001/8/3 最終更新日:2001/8/3

あっという間に、福岡から横浜へ転勤となった。福岡の近場には良いところがたくさんあったが、残念ながら行ってないところをかなり残してしまった。

特に、屋久島や韓国には行っておけばよかったと思っている。韓国は福岡から非常に近く、プサンならば水中翼船でほんの数時間で行けてしまうのだ。

そのくせ、仕事が忙しくて色々なところに行けなかったと云ってるわりには、東京ディズニーランドで人気アトラクション、ハニーハントに乗っていたりするからおかしなものだ。(これはプーさん)

わざわざ福岡から浦安まで出かけた上、ディズニーランドのシンボル、シンデレラ城を一周するような待ち行列にならんでハニーハントにようやく乗ったのだ。ハニーハントの建物の中には、くまのプーさんのストーリーを描く壁画があって、そういえば実家にも絵本があったなと幼い頃の記憶を取り戻ししてくれたりした。

どんな展開になっても結局はハチミツお腹一杯オチで終わるんだとか、人間の登場人物もそういえばいたなぁとか。

そういえばその子の名前は・・・、だーれが殺した。(それはクックロビン。人間の登場人物の名前はクリストファー・ロビン)

プーさんのぬいぐるみを着た人に韓国語で話しかけられたなぁとか。(うそ)

プーさんの職業はやっぱりプー太郎かなぁと考えたりしたものだ。(根本的に勘違いしている)

さて、プサンに話を戻す。プサンは福岡から近かったがゆえに、いつか行けるだろうと油断していた。ただ、プサンになぜ行きたかったのかというとたいした理由などなくて、単に天安門で本場の焼肉を食べてみたいなぁと思ってたくらいの話だ。(南大門と間違っている。しかも南大門はソウル)

旅行の醍醐味というのは、観光して周るのもいいけども、現地のおいしいものを楽しむところに真髄があるのではないかと思う。 それは食事はその地域の文化を一番はっきりと表現していると思うからである。

なんにせよ、今回はせっかく横浜に来たので、機会というものが意外に短いというのを肝に銘じながら楽しくやっていきたいと思っている。サザンオールスターズをBGMに、横浜のおいしいもの文化を十分楽しみたい。


第六十九回

わたしは臆病者です

初出公開:2001/11/7 最終更新日:2001/11/7

飲み物は何がいい?ってスチュワーデスに英語で聞かれて、「I am a coffee.」(わたしは、コーヒーです)って答えてしまうのは恥ずかしいっていう英会話学校のCMがあったよな。

あった、あった。顔がコーヒーカップになるやつな。機内食はビーフとチキンどっちがいいですかって聞かれて、わたしはチキンですって答えてしまうバージョンもあったな。

そうそう。そう言われたスチュワーデスがそれ聞いたとたんに下向いて、チッて顔をゆがませて「チキン(臆病者)」って吐き捨てたように呟くやつな。

いや、そんな展開はなかったとおもうけど。

「No.You are not chikin.」って冷静に返されたらつらいやろな。

そう言われた客がなんでチキンを否定されたんかわからんまま「じゃあビーフ」とかいうんやろな。

状況から考えて、客がなにを希望してるかすぐわかるんやからスッと流しとけやって思うよな。

そういや昔、荒井注(故人)がドリスターズのころ、いきなり真顔になって「This is a pen」って言うネタがあったけど、どういうギャグやったんやろうな。

今となっては全然わからんな。ギャグって、時代の空気とか背景があって初めて面白さが伝わるからな。その面白さはもう失われてしまったんやろな。

話は初めに戻るけど、なにを飲みますかって聞かれて「I am GOD.」って答えるのはどうや。

彼の中の神が飛行機の中で急に目覚めたんやな。飛行機の隣席の人が自分が神やと気付くんは、隣人が実は犯罪者やったっていうより怖いやろな。

それで、申し訳ございませんが、お客様のお名前を教えてくださいませんかって言われて、「Ich bin Ladin」(イッヒ・ビン・ラディン)。

ドイツ語かい。飛行機内がいきなりパニックになりそうやな。

すぐ取り押さえられるんやけど、よく考えたら"bin"は英語の"be動詞"みたいなもんやから、実はただのラディンさんやねん。

ほんま、どうでもいい話やな。


第七十回

おみくじをひく

初出公開:2002/1/27 最終更新日:2002/1/27

初詣には、おみくじがつきものだ。

みんなは幸運を祈って、年の初めにその一年の運勢を占う。だから、せめて末吉でも出ればよいのだが、これは、当たるも八卦、当たらぬも八卦、の占いの一種であるからしてそうとも限らない。

それがために、凶がでてブルーな気持ちになる人も現れてしまう。まあ、仕方のないところだが。

つまり、おみくじは、一年の運勢を賭けたギャンブルといっても良いだろう。

わたしは、ギャンブルが強い方ではないので、おみくじも引かないようにしてきたが、つきあいもあって、近頃は神社に行くたびに引くようになった。占いは信じない性質だが、それでも卦が悪いと気分も悪い。

うちのオヤジには、おみくじ必勝法がある。それは大吉がでるまで引き続けるというものだ。なかなかいい考えだと思うが、それには問題がある。大吉が出るまでおみくじを引き続けるとして、一回目どころか二回目までも連続で凶を引いてしまったとする。その人は三回目もおみくじを引こうと考えるであろうか。あるいは四回目はどうか?

それでも引き続ける人は、普通の根性ではない。そんな人は大吉を引きあてる前に、それだけで大吉の資格十分であろう。

自分の運命を拓くことができるのは自分しかの手でしかできない、ということなんだろう、結局。